生きていく上で、リスクが一切ない環境とは成立しない。しかしなぜ過剰の「リスクをゼロにしなければだめ」という考え方が根強いのか。ジャーナリストの佐々木俊尚さんがそれを具体例と共に分析する短期集中連載。

ゼロリスク信仰という言葉が生まれ、広がった経緯を具体例とともにお伝えした第1回、ゼロリスク信仰に大きな関わりのがるメディアの構造をお伝えした第2回に続き、最終回の第3回は「依存症治療」に焦点をあてて「ゼロリスク」の意味を考える。

 

田中聖容疑者執行猶予中の逮捕の衝撃

アイドルグループ「KAT-TUN」田中聖容疑者の逮捕が、社会に衝撃を与えた。覚醒剤所持で逮捕されたのは6月29日だったが、そのわずか9日前に別の覚せい剤所持で執行猶予の判決を受けたばかりだったからだ。裁判で「家族や応援してくる人たちのために、今後いっさい関与しません」と口にしていた彼が、なぜすぐに薬物に手を出してしまったのか。

雑誌などのメディアはさまざまに報じた。「判決を受け、深々と頭を下げた田中容疑者。しかし舌の根も乾かぬうちに、自らに課した誓いを反故にしてしまった」「今回の逮捕で、自らの親孝行の意思にも背くことに。(中略)罪を償うことも、親孝行も“Keep the faith”してほしかった……」

「Keep the Faith」というのはKAT-TUNのヒット曲で、「信念を貫け」といった意味である。人としての信念や意志が弱すぎるから、わずかな期間に再犯してしまったのだろうと雑誌は書いているのだが、このような「心が弱い」論で片づけてしまって良いのか。

「ダメ、ゼッタイ」一辺倒でいいのか

違法薬物使用に対しては刑罰ではなく、治療で向き合うべきだという指摘は多くの医療関係者がずいぶん以前から訴え続けている。埼玉県精神医療センター副病院長の成瀬暢也氏は著書『アルコール依存症治療革命』(中外医学社、2017年)でこう指摘している。

「我が国は、薬物問題に『ダメ、ゼッタイ。』に象徴される『不寛容・厳罰主義』を一貫して進めてきた先進国では希有な国である。アジアでは、売買に関しては死刑を含めた厳罰を科す国が多いが、個人の使用に関してはそれほど厳しく対処しているわけではない。個人使用にも厳しく対処しているのが、わが国の特徴であるといっても過言ではない。違法薬物の生涯経験率が欧米先進国にくらべて一桁低いことが、『厳罰主義』を疑いのないものとしてきた」

「ダメ、ゼッタイ。」はその依存症に苦しむ人を排除することにもつながりかねない Photo by iStock

『ダメ。ゼッタイ。』は有名な薬物乱用防止スローガンだ。もうひとつのスローガン「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」とともに1980年代から使われ、日本人ならだれもが耳になじんでいる。

この「人間やめますか?」は後に「人権否定ではないか?」と議論にもなった。成瀬氏も先の書籍でこう書いている。

『犯罪者を懲らしめる』『異物を排除する』『重度の薬物依存症者は厳罰に処す』という不寛容・厳罰主義に、薬物乱用者への理解・支援という意識は見当たらない。『覚せい剤やめますか。人間やめますか。』と問われる。これは、覚せい剤をやめられなければ、人間であることをやめなければならないというメッセージである。わが国の薬物問題対策は、刑事司法一辺倒であり、公衆衛生、医療、社会福祉はなきがことくである」

日本社会から「異物を排除する」のだという意識。「ダメ。ゼッタイ。」というゼロへの期待。これらには、ゼロリスク信仰に共通する思考が潜んでいるように思える。そしてゼロリスク信仰がさまざまな副作用を持っているのと同じように、これらのスローガンが求める「乱用完全撲滅」も、マイナスの副作用を持っている