2022.09.27
# ビジネス

横浜中華街で「閉店ラッシュ」が止まらない…! そのウラで起こっている「大変化」

中高年が消えて、代わりに…

今年6月、横浜中華街の名店「聘珍楼」が破産手続きを行ったというニュースが報じられ、多くのファンを悲しませた。1884年に創業された同店は、1990年代に総料理長の周富徳氏がたびたびテレビ番組に出演したことで、お茶の間でもその名が知られていた名店だ。

だが今、横浜中華街ではこうした閉店・休業の事態は「聘珍楼」に限ったことではない。名店が続々と閉店や長期休業の苦境に立たされているのである。一方で、コロナ禍の外出自粛が緩和されるとともに若者客を中心に賑わいを取り戻しており、ディズニーランド感覚で自撮りをしたり、チャイナドレスのコスプレ姿で通りを歩いたりする若い女性の姿も目立っている。

果たして現在、“横浜中華街経済”はどうなっているのだろうか。そこで今回は、食品業界事情に詳しいフードアナリストの重盛高雄氏に話を伺い、横浜中華街の現状を解説していただいた(以下、「」内は氏のコメント)。

筆者撮影
 

激動の時代を生き抜いてきた横浜中華街

まずは、横浜中華街という場所がどのように生まれたのかについて教えていただこう。

「幕末の1859年に港が開かれたことで、横浜はアメリカやイギリスなど、世界中から外国人が訪れる外国人居留地となりました。日本の言語や商売に馴染みのない彼らを仲立ちしたのが、彼らに随伴した中国人。なかでも中国の広東や上海から来た人たちが多く、彼らは“華僑”(中国国籍を持ちながら長期で外国に滞在している人々)と呼ばれ、この地で大きなコミュニティを形成していったのです。

1899年の条約改正に伴い居留地は撤廃されることになりましたが、コミュニティは旧居留地の外に広がり続けました。それと同時に、華僑の増加で日本人失業者の増加を危惧した政府の指示で、彼らが営む理髪・洋裁・料理業など一定の職業制限が行われ、未熟練のものは就業してはいけないという趣旨の制限も設けられました。

その後、同地は1923年の関東大震災で多くの建物が倒壊。加えて1945年の第二次世界大戦時の空襲で一度焼け野原に戻されてしまいます」

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