2022年でデビュー40周年を迎えた原田知世さん。1982年のデビュー以来、透明感のある凛とした魅力もそのままに、俳優・歌手として活躍されています。
スクリーンデビュー作となったのは、広島県の尾道を舞台にした『時をかける少女』(83年公開)。当時中学生だった原田さんの清廉な佇まい、大林宣彦監督の郷愁をかきたてられる映像、松任谷由実さんが手がけた美しいメロディが調和したこの作品は、今なお世代を超えて多くの人に愛されています。

40周年という長きに渡る活動を振り返って、いま原田さんは何を思うのでしょうか。インタビュー前編では、芸能界入りの経緯と、数ある出演作のなかで原田さんが「私の代表作」と語る、『時をかける少女』について詳しくうかがいます。

インタビュー・構成/上田恵子

 

さまざまな奇跡が重なって生まれた作品

――芸能界入りのきっかけは、1982年4月に行われた真田広之さん主演の映画、『伊賀忍法帖』の新人オーディション。原田さんが中学2年生の時ですね。もともとは真田広之さんに会いたかったという理由から、参加されたそうですが。

そうですね(笑)。正直に言いますと、それまで芸能界を目指したことはありませんでした。長崎に住んでいた私にとって、そもそも東京自体が遠い存在でしたし、応募も「オーディションに行けば真田さんに会える!」という、子どもらしい発想からでした。その頃の私は、ドラマ『影の軍団』シリーズや映画『燃える勇者』など、出演作はすべて観ていたくらい真田さんが大好きだったんです。

オーディションに受かってすぐにドラマ『セーラー服と機関銃』(フジテレビ系)の現場を経験させていただき、その際に「来年は映画だよ」と言われました。それが翌83年に公開になった『時をかける少女』です。とても大きな世界に飛び込むような緊張感を覚えました。

――『時をかける少女』は、原田さんにとってどんな作品ですか?

『時をかける少女』は、中3の春休みを利用して1ヵ月ほどで撮影された作品です。タイミングと言いますか、ちょうど一人の女の子として変わっていく年頃で、1年早い中学2年ではちょっと子どもで、高校生だとまた違う雰囲気になってしまう、という絶妙な時期でした。

そこに素晴らしい原作があり、あの時の角川春樹さんと大林宣彦監督がいて、松任谷由実さんまでもが参加された。本当に、さまざまな奇跡が重なって生まれた作品だったと思います。

撮影/山本倫子