2022.10.03

「もう飛行機だけは勘弁してください!」零戦搭乗員の夫の帰りを待ち続けた妻の悲痛な叫び

太平洋戦争の話といえば、ことに女性兵士のいなかった日本では、どうしても戦場で戦った男たちのことが主になり、彼らを支えた女性たちの存在が顧みられることはあまりないように思える。だが、当然ながら人口の約半分は女性であり、「銃後」を守った女性たちにもそれぞれの思いや戦いがあったのだ。

 

岩井夫妻の結婚生活

「なんぼ貧乏してもついて行きますから、もう飛行機だけは勘弁してください」

――戦時中、明日の命もわからない戦闘機乗りの夫を待ち続けた妻が、終戦後、GHQによって禁じられていた日本の航空活動が再開されたさい、また飛行機に乗りたい一心で日本航空を受験しようとする夫に向かって、心の底から絞り出すようにして放ったひと言である。

妻の名は岩井君代さん。長崎県大村で生まれ育った。夫・岩井勉さんは京都府出身、昭和15(1940)年、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機を圧倒した零戦のデビュー戦にも参加している歴戦の戦闘機乗りである。岩井夫妻の結婚生活は、結婚式からして波乱に富んだものだった。

岩井勉、君代夫妻。昭和17年9月に結婚した

昭和16(1941)年12月8日、日本陸海軍はアメリカ、イギリスを中心とする連合軍と交戦状態に入り、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発した。夫・岩井勉さん(当時一飛曹、のち中尉)は語る。

「開戦のとき、私は筑波海軍航空隊で教員をやっていました。そのときは、これまで支那でさんざんやってきて、もう戦も終わりかと思っていたのに、世界を相手にまだやるんかいな、いままでのはリハーサルやったんか、えらいこっちゃ、と、正直なところ思いました。しかし、戦争が始まったんなら行かなきゃならん。早く実施部隊に転勤して戦地に出たいという気持ちのほうが強かったですね」

SPONSORED