私には病気を治す才能がない!?
しばらくしてまた次の(いわゆる)不安神経症の患者がやってきました。
若い青年、「突発性頻脈」に襲われるらしい。
最初の何回かは失神さえしています。
この患者はそれぞれの発作について詳しい記録を残していました。
いつ、どこで、何時何分、何をしていたとき、と。
しかしそれでもなお、発作がどうして起きるのか明らかにできないのです。
発達歴にも症状と関係するような所見はありません。
この一群だけみれば、私が学んだのは「何度やってもコンタクトに失敗する」ということだけでしょう。
「不安神経症」なるものを治すことが私には不得手であるとか、才能がないとか、そんなところに落ち着くかもしれません。
その頃の私は、不安という言葉をただ界隈の流儀にならって使っているだけでした。
不安について厳密な記述をするようになるにしたがって「不安神経症」を扱うときのハンディキャップが、少なくとも自分で感じる限りでは、ずっと軽くなっていったように思います。
スキゾフレニアの発症メカニズムとは?
スキゾフレニアを中心にした臨床をやっていくなかで、不安に衝き動かされること、すなわち強迫症的な生活様式obsessional way of lifeについて研究する必要を感じたのだとも言うことができます。それが不十分のうちには前に進むことができないのです。
私が最初に立てた問いは以下の三つでした。
〈スキゾフレニアの対人関係は、それ以外の関係性とどう異なっているか〉
〈精神病と分かち難く結びついた、発達史上の特異的事件はあるか〉
〈何を契機にしてスキゾフレニアはより穏当な対人関係に移行するのか〉。
先に、第二の問いについて話します。
スキゾフレニアに前駆して、強迫によって泥沼化した生活様式のみられることがあります。
スキゾフレニアが落ち着いている間だけ出ることもあるし、寛解してから強迫だけしつこく残ることもあるでしょう。
長い間つづいていた重症の「強迫/衝動性」が急にスキゾフレニアに変わって不幸な結果になったこともありました。
スキゾフレニアと強迫/衝動性のどちらも成長過程に由来していると仮定すると、ここに述べた知見はそれを補強してくれるものであり、しかも相当の共通部分があることさえ示唆してくれます。
それほど無理のある推論だとは思いません。
ただ、どうして強迫を呈したうちの一部のみがスキゾフレニアとなるのかはまだ分かっていない。
精神科医であれば誰でも、強迫からスキゾフレニアに変わることがそう頻繁でないことくらい知っています。
強迫がどれほど重症であってもスキゾフレニアと違って大半は生涯そのまま過ごしていくものです。
長期にわたる精神分析をやってもほとんど治癒しないこともまた周知の通りです。
