2022.10.11

多くの人が抱える「不安」、その正体とは?
不安神経症とスキゾフレニアとパニック障害

ハリー・スタック・サリヴァン

不安を感じる能力は人間独特のもの!?

私が精神医学を対人関係論として定式化できるようになったときにも重度強迫だけは唯一はっきりしないままで、充分に記述できなかったことが思い出されます。

ホワイト記念講演の頃までには多少の前進があったので、そこで強迫/衝動性の問題にとりあえずの区切りをつけることにしました。

だから不安についての記述は今でも不完全なままです。

しかしこの長い年月の間に進むべき方向の見当はつけられたと考えています。

荒っぽく言ってしまうと、対人の場interpersonal fieldsの無数にあることが人間存在を可能にしています。
逆の言い方をすれば、人間らしい行為はすべて対人の場を通してしか観察できないということでもあります。

これが対人関係論の骨子になっています。

あらゆる哺乳類と同様に、人間には恐怖fearを感じる能力が備わっています。
しかし不安anxietyを感じる能力は人間に独特なものであるようです。
ヒトがひとになる過程には、不安と結びあった様々なプロセスが表れるものです。

当人に体感されるところでは、恐怖と不安で違いはありません。
それ自体の感触として二つを区別するものはないという意味です。
しかし恐怖がしばしば疑いようのないものである一方で、不安はいつも自覚が曖昧で、ほとんど生活の一部になっています。

人生のうちで恐怖を感じることはそう何度もあることではないでしょう
──けれども不安は大多数の人々の相当な時間のうちに忍び込んでいます。

どんな状況に置かれると恐怖が生じるか、これはそれほど難しい問いではありません。
恐怖を感じる場面が人によって違うということもほぼない。

しかしどんな状況が不安を生じさせるかと問われると、これに答えるのはなかなか難しい。
個人差が大きいし、不安には馴れるということが難しい。

photo by iStock

恐怖と不安はまったく別物!

馴れることはヒトに備わった機能の一つです。
観察や分析、理解、想起すること予見することに関係しています。
恐怖はこれらのプロセスを一時差し止めます。

一方で不安は差し止めるというよりも捻じ曲げる力をもつようです。
しかも不可逆的に。

「感情」というものは一般に緊張[テンション]の一種と捉えることができますけれども、これが一定以上に強くなるとアンテナが敏感になって緊張の原因にぐっと集中が向くようになります。

しかし色々ある感情のなかで不安だけは特別です。
真逆と言っていい。

ごく微弱であっても、不安は緊張の原因から目を逸らせるように働きますから。

不安は、他の感情と同じ方式によっていては記述できないと理解いただけたでしょうか。
サマリの代わりに概念図(表1)も提示しておきましょう。

表2はこれをやや深化させたものです。

愉楽(euphoria)という用語は一切の緊張がない状態を指すための便宜上で使っています。
緊張がないので行動をとることもないでしょう

──無心の悦び、といったところでしょうか。

緊張が極大となるのは戦慄驚愕(terror)のときでありますが、対になっていることを考えると、愉楽の極大はもっとも深い眠りに落ちている間にあるのかもしれません。

恐怖と不安はぱっと見た感じだとよく似ている感情のように思うが、サリヴァンの分析を読むと、大きな違いがあることが分かる。特にどんな状況下で人は不安を感じるのかという問いに対して、答えを導き出すのが難しく、個人差がおおいにあるという意見には素直に納得が行く。生活者である私たちのすぐそばにある不安という感情と上手に付き合うためには、まず何に対して不安を抱いているのか、言語化するところから始めてみるといいのかもしれない。