2022.10.02
# 新日本プロレス # アントニオ猪木

「あなた一人ぐらい、私が食わせてあげる」…アントニオ猪木氏を支え続けた「4人の妻たち」

2022年10月1日に逝去した、アントニオ猪木氏(享年79)。プロレス、ビジネス、そして政治……。幾多もの挑戦をしてきた彼の生涯は、女性がらみのスキャンダルでも話題に事欠かなかったが、それでも猪木氏は前に進み続けた。その原動力となったのが――。

数々の出会いと別れ

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生涯で4回の結婚と3回の離婚(うち1回は事実婚)を繰り返し、他にも数々の女性たちとの浮名を流してきたアントニオ猪木氏。

「巨乳好き、なんてことも言われていたことがありましたね(笑)。猪木さんは家庭的なタイプではないですが、”元気”を地でいき、最後まであきらめないような男。彼はいつも夢を追いかけていた。そんな彼はキラキラしていていつも魅力的でしたし、献身的に支えた女性は多い。そんな女性たちとの出会いと別れとが彼を前に進ませていったのではないでしょうか」

そう話すのは猪木氏に詳しいスポーツカメラマン。

そこで彼の人生をその恋愛遍歴と共に振り返っていこう。

 

最初の結婚は1965年。孤独なアメリカ武者修行中に出会ったというダイアナ・タックさん。スパニッシュ系の黒髪美女で、彼女とは友人のホームパーティで知り合ったという。

「その前に初めての彼女と別れたり、夫のいる10代の女性との修羅場を経験したりするなど、いくつかの苦い恋愛の末に訪れた、猪木さんの“春”でした。ダイアナさんは10代、猪木氏は22歳。彼女を『絶対に幸せにしなくては』と思っていたそうですが、一度は破局。その後、娘が誕生したこともあって復縁し、ダイアナさんを日本に呼び寄せました。籍は入れずに内縁状態だったそうです」(前出のスポーツカメラマン)

だが、猪木氏が自伝『猪木寛至自伝』(新潮社)の中で〈幼い父親だった〉と回想しているように、その家庭生活は長く続かなかった。

愛娘との永遠の別れ

1968年1月8日。その日、猪木氏は広島で行われる予定だったインタータッグ戦を欠場、ベルトを返上した。前日の試合は大阪で行われていたので、間に合わないはずがない――実は一度、東京の妻子の元へ戻っていたからなのだという。

「ダイアナさんは慣れない日本の生活。知り合いもおらず、猪木氏が巡業で帰ってこないため、ヒステリーを起こしてしまった。それで猪木氏がなだめに戻ったそうです」(同)

プロレス&格闘技ライターの瑞左富郎氏による著書『アントニオ猪木』(新潮新書)によれば、猪木氏は妻をなだめた後、広島まで飛行機で移動しようとした。ところが、大雪に阻まれて広島空港が閉鎖。試合に間に合わなかったというのだ。

試合後、宿舎に戻ってきた選手たちが見たのは、欠場を申し訳なく思った猪木氏が玄関のたたきで土下座をする姿だった。

その後、ダイアナさんは娘を連れてハワイに行き、猪木氏の元には戻らなかった。猪木氏が東南アジアに遠征した時の浮気がバレたことがきっかけだったとか、奥さんとの間に文化の壁や子育ての悩みがあったとか、さまざまな憶測がなされたが、愛娘とは6歳を最後に会っていなかった。

そして愛娘は8歳で急死した。小児がんだったとされている。訃報を受けた猪木氏は悲しみに暮れ、「父親らしいことは何もしてやれなかった」と激しく悔いていたという。前出の自伝にはこう記されている。

〈いくら悔いても、もう取り返しがつかない。(中略)今でも幼い女の子を見ると、ハワイの空港に迎えに来た時の文子(娘)の笑顔がよぎることがある……〉

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