2022.10.13
# 歴史 # 本

「20世紀を代表する哲学者」が、40代で迎えた「内面の変化」

ピアニスト・反田恭平との意外な共通点
鈴木 祐丞 プロフィール

理想を追いかけるのをやめ、現実の自分自身の中に降りていき、不完全なあるがままの自分を誠実に見つめるのはつらいことだ。だがそうすることで、人は欺瞞を離れ、自分の身の丈にあったスタイルを身に着ける。

ウィトゲンシュタインはキェルケゴールに導かれて自分の中に降り、あるがままの自分と折り合いをつけた。それにより彼は、等身大のスタイル、奇をてらうことなく、自分自身と実直に対話を重ねていく『探究』のスタイルを手に入れた(こうしたウィトゲンシュタインの思考の変遷や、その起点となるキェルケゴールとの関わりについては、『〈実存哲学〉の系譜』で丹念に描いた)。

ウィトゲンシュタインのマーラー評が正鵠を射ているのかどうか、私には判断できない。言えそうなのは、おそらく音楽でも哲学でも、あるがままの自分ときちんと向き合い、折り合いをつけた者が誠実に創り出す作品は大きな力を宿すし、そうでない者が虚栄心にまみれて生み出すものは、そうではないかもしれないということだ。

交響曲の大家として有名な作曲家グスタフ・マーラー[Photo by gettyimages]
 

反田恭平の音楽の核は「無邪気な子ども」(『終止符のない人生』、137頁)なのだという。彼が学生時代の若き日に、どのように虚栄心と向き合い、あるがままの自分と折り合いをつけたのかはわからないし、ひょっとしたら彼は、この先どこかで自己の変革を経験することになるのかもしれない。だが私はひとまず、今の彼の音楽のスタイルが、「無邪気な子ども」が奏でる音がとても好きだ。

そして私はまた、あるがままの自分の視点で物事を見つめ、ごまかすことなく自分と対話を重ねていくウィトゲンシュタインの哲学のスタイルが、『探究』の哲学がとても好きだ。そしてこれからも、そのような誠実な精神たちが創り出す作品に力を与えてもらって生きていきたいと思う。たとえそれが技巧を凝らしたものでなくても。世界を説明しつくさなくても。

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