2022.10.17

すべての存在はブッダである! 人が救われる驚きのロジックとは!?

梶山雄一『般若経』をもとに
私たちは宗教を通じて、祈り、考え、過去と未来を信じる。

そのときの指針となるのが、宗教の開祖たる存在。例えばキリスト教で言えばイエス、仏教で言えば釈迦(シャーキヤ・ムニ)だ。

仏教において最高位の悟りを開いた存在は「ブッダ」。通常その位に達したひとは釈迦のみとされるが(つまりブッダ)、もともとこの考えは絶対的なものではなかった。

ブッダとは唯一神ではなく、誰しもが徳を積んでいく先に気づき得るもの。つまり教えを成熟させていくなかで目指されるべき世界観なのだ。
はたしてブッダと呼ばれる存在がここに至るまでには、どのような変遷や考え方があったのだろうか?

大乗仏教の代表的な経典「般若経」を豊富なエピソードとともにわかりやすくかたる名著『般若経 空の世界』から、修行とブッダのあいだの興味深い考え方を紹介する!
(※本稿は梶山雄一『般若経 空の世界』を一部再編集の上、紹介しています)
仏教では、あらゆる生き物は輪廻転生する。釈迦(シャーキヤ・ムニ)も例外ではない。国王、王子、大臣、バラモン、学者、仙人、職人、ライオン、象、鹿、馬、猿、兎、鸚鵡、鳩など……様々な存在をめぐってきた釈迦の前世にかんする物語は「ジャータカ」と呼ばれ、その主人公(=釈迦の前世)は「ボサツ」と称された。しかし、なぜわざわざ名を変えるのか? まずはその歴史から辿ってみよう!

「ボサツ」という言葉はいつ生まれた?

ジャータカの発生はかなり古く、西紀前二世紀、あるいは前三世紀にまで遡ることはすでに述べたが、ジャータカで主人公として活躍するボサツということばはジャータカとともに発生したかどうかわからない。

バールフットのストゥーパの欄楯や塔門にシャーキヤ・ムニが母胎に入るというジャータカの一場面の彫刻があるが、その銘には「世尊入胎す」とあって「ボサツ入胎す」とは書かれていない。

同じ場面が後代の仏伝文献にあらわれるときにはかならずボサツということばが使われている。入胎のときにはシャーキヤ・ムニはまだブッダになっていないのであるから、彫刻を作った人がボサツということばを知っていたならば、それを使ったにちがいない。

ジャータカ研究で知られる干潟龍祥[ひかたりゅうしょう]氏は、この事実から、バールフットのストゥーパが建造された西紀前二世紀半ばには、ジャータカはすでに存在したけれども、ボサツということばは存在しなかった、と推定された。

氏は、ボサツという語のあらわれる他の彫刻や、ボサツという語を使っているパーリ語仏典が初めて文字に写された年代(前四三~一六)などを考慮したうえで、ボサツという語は西紀前一世紀中ごろに成立したと推定している。

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紀元前二世紀にまでさかのぼる

ジャータカの物語そのものは、ボサツということばを用いなくとも、物語ることはできる。

また、ジャータカは古代インドの寓話や伝説を仏教徒が借用してシャーキヤ・ムニの前世物語に仕立てたものであろうから、物語の成立そのものはボサツということばと必然的に結びついてはいない。

だからのちにはジャータカの主人公はかならずボサツと呼ばれたけれども、ジャータカ発生の当初には、「世尊はむかし……」というようないい方しかあらわれなかったのかもしれない。

そう考えると、干潟説はきわめて有力なものに思えてくる。しかし、一方、バールフットのストゥーパにあらわれないからボサツという語はそのときまで存在しなかった、とするのは、無存在を根拠にした年代設定であってやや危険なものである。

バールフットにないということは、偶然であるか、またはそのストゥーパが寄進された部派がボサツという語を嫌ったからであって、ほかの地方や部派ではボサツという語を使っていたかもしれないからである。

インド仏教史の権威平川彰氏は『論事』『発智論』『舎利弗阿毘曇論[あびどんろん]』など、ボサツという語を使っている書物の成立年代を西紀前一~二世紀とし、ボサツという語の成立を紀元前二世紀と推定している。