2022.10.17

エリートだけでなく、衆生が救われる宗教へ! 「大乗仏教」の誕生へ

梶山雄一『般若経』をもとに
日本で最も一般的な宗教のひとつである仏教。

いまでこそひとびとに馴染みのある宗教だが、その歴史をたどると、ごく限られたエリートしか救われないと思われた時代もあった。

複雑な教えを理解し、大変な修行を経なければ、本当にひとは救われないのだろうか?

そんな疑問のもと、誰もが平等に救われるよう教えをあらため、誕生したのが、現在の日本で最もベーシックな仏教といわれる「大乗仏教」だ。

はたしてそこには、どのような対立・困難・努力の歴史があったのか……。

大乗仏教の生まれた背景や、代表的な経典「般若経」の教えを、豊富なエピソードとともにわかりやすくかたる名著『般若経 空の世界』。待望の文庫化を果たしたこの本から、重要なポイントを紹介しよう!
(※本稿は梶山雄一『般若経 空の世界』を一部再編集の上、紹介しています)

仏教になぜ様々な宗派が生まれたわけ

根本分裂によって仏教教団は上座・大衆の二部派となったが、その後それぞれの部派は数百年のあいだにさらに細かに分裂しつづけ、最終的には十八部とか二十部とかいわれるほどになった。

いわゆる枝末分裂である。

こうした分裂については種々な原因が考えられる。教義や戒律について解釈が相違したこともあり、あるすぐれた指導者があらわれて彼を中心とするグループが独立することもあり、あるいはただ地理的にへだたっているために別の学派が作られたこともある。

しかし、このいわゆる部派仏教、あるいは小乗仏教の時代を通じ、シャーキヤ・ムニの時代にはガンジス中流に限られていた仏教世界は全インド、さらにセイロンやガンダーラ地方にまで拡大された。

各部派はそれぞれ固有の経と律を伝承し、さらにその部派独得の哲学であるアビダルマ(論)を発展させ、競いあい、協力しあっていた。

経・律・論に関してはそれぞれの部派に特徴があったけれども、仏伝、ジャータカ、アヴァダーナなどの説話は比較的抵抗なしに一つの部派から他の部派へと交流したと思われる。

photo by Getty

より複雑で洗練されていく教え

これらの部派はそれぞれストゥーパの近傍に建てられたかなり大規模な僧院をもっていたらしい。

ストゥーパは在家信者たちがブッダに寄進したもので、いわば仏財であるから、僧院とは別個に管理され、ストゥーパへの供物が直接に僧院の経済に寄与することはなかったが、もちろん僧院そのものへの寄進も多かったであろう。また、国王や土地の富豪やギルドの長が一定の土地の租税や収穫物を僧院の維持のために寄進することもあった。

こうして僧院に集団生活する比丘たちは経済的に保証され、学問と修道に没頭することができるようになった。

その学問はいよいよ精緻な体系にまで構築され、その修道は長期にわたっていくつもの段階を経過する複雑な階梯になっていった。それはもはや専門家のためのものであり、在家の信者にとっては理解することも実践することも不可能なものになっていった。

教えが一般のひとびとに開かれなくなっていった……

僧院において性的禁欲をはじめとする多くの戒律を守り、一方で社会的・経済的義務から解放された比丘たちの生活と、一般社会で結婚し、家族を保護し、職業に従わねばならぬ在家信者の生活とのあいだにはあまりにも大きな断絶ができてしまった。
僧院の仏教は在家信者をその宗教から締め出してしまったし、在家信者は彼らを救いうる新しい仏教を探さねばならなかった。

大乗仏教が起こってから、部派仏教が利他の精神に欠け、自己のみの救済に専念するものとして小乗と批判されるようになったのもそのためである。

関連記事