「公と私」の区別
「昭和天皇の時代は、本当に警護が厳重でした。しかし代が替わるとともに、ソフトな警護が好まれるようになった。現在の天皇陛下も英国留学した際に、英国王室の人たちが国民と自由にコミュニケーションを取る様子を見て、『日本では警護が過剰なのではないでしょうか』とおっしゃっています。

高松宮さま(宣仁親王)はしばしば護衛をまいて、銀座に飲みにいらっしゃっていたそうですし、三笠宮さま(寛仁親王)は電車で移動する際、近くに護衛が座るのをいやがられました。最近では佳子さまが護衛から逃れるために、電車の扉が閉まる瞬間に駅に降りられることもあったと聞きます」
とりわけ秋篠宮は仰々しい警護を嫌うことで有名だ。「公と私」の区別をはっきりつけるため、「私」の場面ではできるだけ警察が介入してほしくないと要望されることが多い。
例えば車で移動される際の警護のしかた。現在の天皇陛下が東宮であったときは、予定に合わせて信号を止めるなど交通規制をして、スムーズに車が通行できるようにしていた。しかし、秋篠宮は皇位継承順位第1位の皇嗣、つまり東宮と同格となってからも、移動のために信号を止めることを嫌う。前出の宮内庁関係者が語る。

「自分たちの車が移動することで信号を止めるのは、一般の人に迷惑がかかるというお考えがあるのだと思います。
しかし、警護する側としては交通規制したほうがはるかに動きやすいのです。長時間、信号で止まれば、それだけ狙われるリスクは高まります。
皇宮警察は万全の護衛体制を敷きたい。しかし、それを殿下が望まれないため歯がゆい思いでいるのです」
後編「これでは眞子さんの結婚の二の舞 悠仁さまを狙う「テロの不安」」では、秋篠宮家の警護に特有の事情を詳しく解説する。
「週刊現代」2022年10月15・22日号より