ALS(筋萎縮性側索硬化症)を検索すると「感覚があるままに体が動かなくなる病気」という説明が多くあります。もう少し詳しい書き方を探すと「筋肉が動かなくなってしまい最終的に自力で呼吸が出来なくなる」という説明がなされています。そして「現在、効果の認定されている治療法がない」と言われていることで知られています。ALS罹患を公表して3年になりました、相変わらず病状は進行しています。現在要介護5・重度障害区分6になり、ALSという難病の最初の決断の段階に入ってきたと思います。微妙に進むALSの進行や私の日常生活を通して介護生活を感じていただければと思います。ALSに罹患して、色々なことが出来なくなっていく生活をどう過ごしているかをお届けします。

2019年3月に足に異変を感じ、検査入院を経て、ALSが告知された声優の津久井教生さん。30周年を超えた「ニャンちゅう」の声を今も演じ続けていますが、身体はほとんど動かず、現在要介護5となって24時間の介護体制を作っています。

ALSだとご自身が公表したのはちょうど3年前の10月1日のこと。そしてこの連載が始まったのはそれから半年後の2020年4月25日でした。最初キーボードを打って執筆していた原稿も、手が動かなくなり、割りばしを口にくわえてひと文字ずつ打ち込むようになり、さらに今はそこから変化しているといいます。いずれにせよ介護のサポートが必要となり、前回は介護の方の予定が取れず、やむなく一度休載となりました。

介護スタッフの方もともにつくり上げてくださっている連載「ALSと生きる」、今回は「動かないけど動いている感覚」についてお伝えいただきます。
2020年の「ニャンちゅう」チームの皆さん。左から比嘉久美子さん、津久井さん、鎮西寿々歌さん。鎮西さんはツイッターで「キッズファミリー賞」受賞にお祝いのメッセージも! 写真提供/津久井教生
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61回目の連載がちょうど節目で感謝しています

講談社・FRaUwebで「ALSと生きる」という連載をさせていただいて61回目の原稿が、ちょうど10月という事で気持ちの節目とも重なりました。ALSを告知してからちょうど3年、月に2回の連載は60回で2年半になります。原稿を書かせていただくことは、しっかりと自分のことを確認する機会になったのでありがたかったです。得体のしれないALS(筋萎縮性側索硬化症)に冷静に対峙できました。

もし自分のブログなどのSNSだけが発信の場だとしたら、もっと独りよがりな感じで文章を書いていたと思います。FRaUwebという場所でなかったら、自分の現状や思いを一方的に書けばいいわけですから、今持っている知識や広めの友人関係は出来なかったと思います。ちょっと物書きとしてALSを伝えたいと思ったからこそ、なるべく難病ALSの正確な情報を伝えたいと思って書くことが出来ました。

キーボードが打てなくなってからは「秘儀・割りばし入力」でひと文字ひと文字打ち込みをしてきました。しかしそれも難しくなってきています 写真提供/津久井教生

もちろん自分の罹患している状態はALS罹患者として間違っているわけではないのです。でも、ALSという難病の他の方や文献などでのケースと照らし合わしていく作業をすればするほど「これがALSです」と発信できなくなるくらい、ALSという難病は確定要素がないのです。2年半、60回書く機会をいただいて「ALSは不確定要素ばかりです」ということはわかりました。

一貫性がないから難病で「治療法がなかなか見つからない」ということになるのだと思います。ただしALSの紹介で書かれている「徐々に筋肉が動かなくなる」というのは本当です。「どんなふうに」と「どこまで」は個人差になりますが、筋肉が動かなくなります。私もALSに罹患して、本当に動かなくなりました。今後も発信できる機会をいただけていることに感謝したいと思います。