今年没後30年を迎えた伝説のロックシンガー尾崎豊さん。妻の繁美さんが、30年目の今年、長く封印してきた豊さんへの想いや心に秘めてきた想いを語る連載7回の前編。

やっとステディな彼女になり、同居を始めて幸せの絶頂!とも思えるようになった直後、繁美さんは、ツアーが終わってもなぜか帰宅しない豊さんを待っていました。すると、本人からの連絡もないまま、繁美さんはスポーツ新聞で「胃潰瘍入院」のニュースを目にすることに……! このとき繁美さん19歳、豊さん21歳。ふたりの運命は大きく変わり始めるのです。

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『尾崎繁美  30年後に語ること』記事一覧

以下より、尾崎繁美さんのお話です。

 

連絡が途絶え1ヵ月後、突然の電話

豊から電話がかかってきたのは、連絡が途絶えてから1ヵ月も過ぎた、ある日の明け方。「元気だった?」と聞こえてきたのは、懐かしい、でもどこか遠い声……でした。

「ごめん、入院してたんだ。胃がちょっとね……。
事情があって連絡できなかったんだ」

この空白の1ヵ月間、私がどれだけ心配していたか。胃潰瘍なら電話の1本くらいできるはずですし、だから、あえて私に連絡をしないようにしているのかと思い、嫌われてしまったのかな、とずっと泣いていた日々でした。そう思ったら、とめどなくまた涙があふれてきて……。

すると豊は「病院にいる間、おまえのことばかり考えてたんだ。ほんとだよ。だから、おまえのために歌をつくったんだ」といって、受話器越しに、ギターの弾き語りで歌っているカセットテープに録音した曲を聞かせてくれました。これが前にお話した『CANDY』という曲(アルバム未発表曲)です。私が好きだった漫画の主人公、「キャンディ・キャンディみたいに何があってもめげない強さが繁美にそっくりだから」って。

“愛を確かめ合いたくて
つくっては壊してみた
二人はきっと同じ朝に目覚める
Candy……sweet my little candy ”

私のためにつくってくれた曲……。
それを歌う彼の声を聴いているだけで、もう天にも昇るような気持ちで、うれしくて。それまで彼に対して抱えていた負の感情は一瞬でどこかに吹き飛びました。現実とは思えないようなドラマティックな展開に、あふれる涙をとめられない……怒るどころか「ありがとう」としか言えなくて。

「夕飯一緒に食べよう。今から迎えに行くよ」という彼の言葉に安堵しましたが、微妙に呂律がまわっていない彼の話し方には一抹の不安がよぎりました。さらに、久しぶりに会った豊の顔がすごく浮腫んでいたのも気になりました。

退院して1週間が過ぎ、彼と再び下目黒の部屋でいっしょに暮らし始めると、入院の原因が「胃潰瘍じゃなかった」ことは病院から処方された薬の袋を見れば、すぐにわかりました。