今も多くの人に歌い継がれる伝説のロックシンガー尾崎豊さん。妻の繁美さんが、30年目の今年、長く封印してきた尾崎さんへの想いや心に秘めてきた想いを語る連載7回の後編。
繁美さんが19歳、豊さんが21歳のころ。ふたりの運命は大きく変わり始めます。
NYから帰国して以前の明るい豊さんとは変わったことを感じながら、豊さんから合鍵を渡され、ステディな関係になった繁美さんと豊さん。実家も紹介された中、ツアーの後に突然連絡が取れなくなりました。スポーツ新聞に「胃潰瘍」と報じられた原因は違うらしい。豊さんのお母さんから、繁美さんはその「本当の理由」を知ることになります。
前編では薬物に侵されている現実に向き合うしかなかった繁美さんは、ご実家と相談の上、豊さんを再度病院に入院させた経緯をお伝えしました。しかし脱走して実家に戻ってきたと豊さんから電話が…。後編でその後をお伝えしていきます。

以下より、尾崎繁美さんのお話です。
逮捕されたあの日……
1987年12月22日の朝方。突然、ピンポーンと玄関のチャイムがなり、その後、ドタドタと足音が聞こえました。そして、部屋に上がり込んできた数人の刑事さんによって、豊は覚醒剤取締法違反で逮捕されました。
前日の晩、私は久しぶりに親友と原宿でお茶していたのですが、豊のことがどうしても気になり彼のお母さんに電話をしました。すると、「兄が通報するといっているのよ」と言われ、その晩何時でもよいから朝霞に来てほしいと頼まれました。
でも、すぐには朝霞には行けませんでした。なぜなら、私も苦しかったからです。当時、私はまだ豊の家族ではなかったし、ましてや19歳。彼のことを愛していても、たまには、友だちとの楽しい時間を過ごしたかった。何より、まさか本当に通報するとは思っていなかった、ということもありました。でも、やっぱり豊のことが心配で、結局、深夜にタクシーを飛ばして朝霞の豊の実家に向かいました。
目の前で彼が逮捕されるのを見るのは、耐えがたい現実でした。しかも、尿検査の結果が出るまでは私も犯罪者同然の扱いを受けたうえに、「豊のことをなんでも知っているのは繁美さんだから。事情は彼女から聞いてくれ」という理由で、警察に12時間も拘束されました。くたくたになって自分の家に戻れたのは、日付が変わる頃でした。
これから先どうなるのかなんて、全然、わかりませんでした。絶望の中で年が明け、豊は1988年のお正月を戸塚署の留置場で迎えました。面会に行くと青いビニールの紐で腰をつながれて手錠をはめられた豊がニコニコしながら刑事さんと一緒に現れました。
屈託なく「あけましておめでとう」という豊に、私も咄嗟に「おめでとう」と返したのですが、少し驚きました。年明けに会った彼は、以前の「好青年の尾崎豊」にすっかり戻ったように見えました。刑事さんまでもが「彼はもう大丈夫。すごく反省してるから、きっともうやらないよ」と言うのです。豊はすごくリラックスした表情で、うれしそうに私の差し入れたお節料理を平らげました。