2022.11.08
# 日本の思想 # 世界経済 # SDGs

地球温暖化の解決策を30年前から考えていた日本人経済学者

「社会」は「市場」のものではない
戦後日本を代表する経済学者にして思想家、宇沢弘文うざわ・ひろふみ)。

格差の増大や環境破壊など、資本主義が持つ「陰」の部分に1970年代から気づいていた宇沢は、「社会的共通資本」という概念をベースに、万人が幸福に暮らすことを目指す、新たな資本主義の枠組みを構築しようとしていた。

その思想は半世紀後の現在、再び大きな注目を集めるようになっている。

そもそも、我々はなぜこのような市場原理主義が幅を利かせるような世界に住んでいるのか。

資本主義の世界に暮らす我々の誰もが幸せに生きられるような社会はどうやって創り出せるのか。


今の時代だからこそ読むべき思想家を100ページ程度で語る「現代新書100(ハンドレッド)」シリーズの最新刊、『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』から、宇沢が30年前に提唱した持続可能な社会の捉え方を紹介する。

第1回:市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…!
第2回:1人殺すのに30万ドル…米軍が開発した「戦争の経済学」の冷血な中身

社会的共通資本とは

『自動車の社会的費用』を執筆した40代半ばから86歳で生涯を終えるまで、宇沢は、社会的共通資本の経済学を構築することに全精力を注いだ。

社会的共通資本は、広い意味での「環境」を経済学の対象にすることを意図して、宇沢がつくりだした概念である。

社会的共通資本は3つの範疇にわけることができる。

(1)大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境
(2)道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー
(3)教育、医療、司法、金融などの制度

宇沢は、社会的共通資本の役割についてつぎのように説明している。
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである」(『社会的共通資本』岩波新書)

近代経済学は市場の分析に注力してきたが、宇沢は、「環境」をふくめた社会そのものを分析しようとした。自然と人間の関係をも射程に入れた経済学の構築に挑んだのである。

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一般均衡理論の教訓

宇沢は、ケネス・アロー、レオニード・ハーヴィッツとともに一般均衡理論の世界的な第一人者だった。

一般均衡モデルは、完全競争の前提のもとで、すべての市場が均衡状態にある均衡市場体系について考察する。完璧な市場原理主義の世界といえるが、その理論を極めた宇沢やアロー、ハーヴィッツはむしろ、一般均衡モデルの限界を厳密に確定していくことで、経済学の新たな課題を発見していった。私的な財ではない公共財をどう扱うべきか、不確実性や規模の経済(外部経済)の存在をどう捉えるか、などといったテーマである。

一般均衡理論を極めたからこそ、彼らは新古典派理論のウィークポイントを熟知していた。

興味深いことに、市場原理主義の教祖的存在となったミルトン・フリードマンはワルラスの一般均衡理論に批判的で、宇沢たちのようには一般均衡理論に通じていなかった。

アローに取材した際、宇沢とまったく同じ視点でフリードマンを厳しく批判したことが強く印象に残っている。アローや宇沢からすれば、市場原理主義を唱える経済学者たちは市場機構が円滑に機能することを前提にするけれども、理論的根拠となる分析モデル(市場経済の全体像)は持ち合わせていない、ということになるだろう。イデオローグとして市場原理主義を喧伝しているにすぎない、という批判である。

アローは不確実性が存在する場合や情報が不完全な場合の市場について先駆的研究をしたし、ハーヴィッツは市場原理主義と計画経済の双方を相対化するメカニズムデザイン論の創始者となった。公害に直面した宇沢が、新古典派では十分な分析が不可能な外部性の問題を抜本的に捉え直すため、社会的共通資本の概念を導入したことは意外とはいえない。豹変したとはいえ、理論家としては、アメリカ時代との連続性が確かに存在する。

高度経済成長の「陰」としての公害、環境破壊は、その規模と深刻さにおいて世界に類をみないほど酷い状況だった。日本の公害問題は、既存の経済学の「外部不経済」の概念で考察できるほど生易しいものではなかった。

「外部不経済」「環境問題」の存在を指摘するだけならたやすい。

「環境」を経済学の概念として明確に定義し、理論的な枠組みに入れ込み、経済変動のメカニズムのなかでどのような役割を果たし、社会にどのような影響をもたらしているのかを分析する。

それが、理論家として宇沢が引き受けた役割だった。21世紀の人類の課題を、宇沢は終生手放さなかった。

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