いまだに微妙な独仏関係
独仏関係は常に微妙である。元々、戦争ばかりしてきた両国だが、第二次世界大戦後、さすがにもう戦争はこりごりと思ったのだろう、50年代終わりより、ドゴール仏大統領とアデナウアー独首相が、若い世代を巻き込んだ積極的な和解政策に乗り出した。
1963年には両首脳がエリゼ条約(仏独協力条約)に調印。ヨーロッパに新秩序を作ろうという試みは、没落したヨーロッパの再生を期したプログラムでもあった。もちろん、当時、倫理的、また軍事的にも有利な立場にいたのがフランスで、ナチの汚名を注ぐため弛みない努力を続けざるを得なかったドイツの発言力には限界があった。

ただ、その後、ドイツが経済力では次第にフランスを凌駕していったのだから、やはり両国の関係は常に微妙なのである。
独仏の歴史上、和解の象徴とされているもう一つの出来事が、1984年、第1次世界大戦の激戦地であるフランスのヴェルダンで、ミッテラン仏大統領とコール独首相が手を繋いで並び立った瞬間だ。
第1次世界大戦というのは、近代戦に対応できていなかった兵士たちが、戦闘機、戦車、機関銃、さらには毒ガスという残虐かつ容赦ない攻撃にさらされた戦争で、ヴェルダンの戦闘では、フランス軍36万、ドイツ軍33万の兵士が戦死したと言われる。
だからこそ、こんな無意味な殺戮は金輪際やめようという平和への意志は堅固に見えたが、今、思えば、それには「自分たちの国では」という但し書きがついていたのかもしれない。いずれにせよ、それ以後も両国は武器の大型輸出国であり続けたし、時には他国での戦争にも参加している。
その後の独仏関係はというと、シラク仏大統領とシュレーダー独首相はほぼ良好な関係を維持し、サルコジ仏大統領の時代(2007〜12年)の独仏関係はメルケル主導で、フランス側からは“メルコジ”などと揶揄されるほど密接だった。その後継者であるオランド大統領に至っては、さらに手際よくメルケル氏に丸められた感がある。
2017年、マクロン大統領が就任すると、ドイツメディアは、“ベテランのメルケル氏に導かれる若きマクロン”といった微笑ましいイメージを好んだが、これはかなり的外れだった。
確かにマクロン氏はメルケル氏と良好な関係を築き、両者はEUの双頭として君臨し始めたが、マクロン氏が最終的に目指しているのはフランスの復権であり、フランスが中心となったヨーロッパの栄光だ。その証拠にマクロン氏は、メルケル氏が退任した途端、後任のショルツ首相には遠慮せず、陰に陽にとドイツ批判を展開し始めた。
しかし、いくらマクロン大統領が頑張っても、今後、フランスがEUの覇者になれるかどうかというと、かなり怪しい。彼らは内政で多くの問題を抱えすぎている。そんなわけで、独仏関係はいまだに微妙なままだ。
来年はエリゼ条約から60年、再来年はヴェルダンの和解から40年だが、この両国が本当に仲良しかというと、それもわからない。国民レベル、特に戦後世代の交流においては何の確執もないが、政治的にはいまだに宿敵であるといった方が当たっているかもしれない。
