2022.11.06
# ライフ

【本人インタビュー】鎌倉殿の「時政パパ」坂東彌十郎が明かす、三谷幸喜さんから掛けられた「驚きの一言」

幼少期の遊び場は太秦の撮影所

生まれは東京ですが、幼稚園に入る頃に役者だった父・坂東好太郎の映画の仕事のために京都の太秦に移りました。

舞台袖にて父・好太郎と 提供:坂東彌十郎

東映京都撮影所の近くで、当時は田んぼの中にオープンセットが点在していて、お城のセットは格好の遊び場です。撮影のない時に忍び込み、お堀に手作りのイカダを浮かべたりして遊んでいました。守衛さんに見つかって追いかけられたりもしたなあ。

父の撮影にもよくついていきました。スタッフの人たちが「ぼん(坊)」と呼んで、かわいがってくれるんです。僕が大人になって時代劇の撮影で太秦を訪れた時も、当時の方が何人か残っていて温かく接してくれました。とても嬉しかったなぁ。

東京で日本舞踊の稽古を始め、京都ではバレエ教室に通いました。男の子は僕一人でしたが、自らやりたがったようです。理由は覚えていませんが、父の姿を見ていたからかもしれません。

その父が離れていた歌舞伎界に復帰することになり、小学校入学の前に東京に戻ります。小学生の頃には歌舞伎俳優になりたいと思っていましたが、すでに周りの子より背が高くて……。子役は年の割に背が低い方がいいんです。小さくて可愛いのにしっかりしているから。

だから、僕は舞台に立たせてもらえず、一つ上の十八代目中村勘三郎さんや同い年の十代目坂東三津五郎さんが名子役として活躍する姿を羨望していました。

 

それなのに暁星中学に入学したらバスケ部に入部しちゃってますます背が伸びてしまうんです。周りからもさんざん怒られたけどバスケがおもしろくて、隠れて練習していましたね。

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