2022.11.14

富裕層から庶民中心の経済へ――人口増加の原動力としての自由と平等

アダム・スミスの「人口論」を読み返す
人口問題の解決は日本の喫緊の課題である。

少子化による市場の縮小、生産年齢人口の減少、急速な高齢化による社会保障の増大に対し、政府は高齢者の雇用や需要喚起政策、金融政策など様々な対応を図っている。
だが、それらが有効に機能せず、根本的解決に至っていないのは何故なのだろうか?

この問題を考える上で『人口の経済学 平等の構想と統治をめぐる思想史』は多大な示唆を与えてくれる。人口をめぐる経済学者の思想史を振り返ると、いったい何が見えてくるのだろうか?

ここでは、経済学の創始者と呼ばれるアダム・スミスの人口論について考える。

(※本稿は、野原慎司『人口の経済学』を一部再編集の上、紹介しています)

経済・人口増加の原動力の認識転換―-不平等から平等へ

スミス(1723-90年)は、経済の制度的基礎に関心をもっていた。その関心は、彼が自らの経済学を「立法者の科学」と捉えたことでも端的に示される。
重商主義の時代からの連続性が、統治へのスミスの関心に現れている。

ただスミスの時代には、制度は統治への貢献それ自体よりも平等との関連で捉えられ、その文脈で人口が論じられる傾向にあった。

たとえばスミスにあっては、古代の共和国の奴隷制を否定的に捉えていたにもかかわらず、共和国という制度、(完全に平等にではないにせよ)市民の参加による政治というものがもつ可能性を否定していたわけではなかった。

財産の平等が人口の増加にとり有利であるのは、モンテスキュー(1689-1755年)やヒューム(1711-76年)やケイムズ卿(1696-1782年)にも見られるものであるが、スミスもそれに与している。このように、人口と平等が結びつけられているのである。

他方で、財産が不平等な社会(当時のヨーロッパのような身分社会)では、富裕者・貴族が奢侈を行い、富裕者・貴族の奢侈による消費が庶民に職を与えるという構造があった。モンテスキューやケイムズ卿は奢侈を否定的に取り扱った。

ただ、重商主義期のダヴナント(1656-1714年)以来、奢侈は統治により統御の困難な経済的力としてもあった。ヒュームにおいて、その力は経済の原動力として肯定的に捉えられている。

ステュアート(1712-80年)にも奢侈は経済の原動力として肯定的に取り扱われているが、同時に、奢侈論のもつ身分社会秩序の暗黙の肯定もなされていた。

スミスは、奢侈論のもつこのような含意を認識した上で、富裕者・貴族の奢侈ではなく庶民の消費こそが、経済の原動力であると捉えていた。そして、庶民の消費のもととなる賃金こそが、人口の増減を決定づけるものと捉えていた。

このように、富裕者・貴族の奢侈という不平等の肯定と平等の人口増加への貢献という矛盾に対して、スミスは庶民の消費と賃金への着目という視点の転換によって、解を示したのである。

ヒューム wikipedia

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