シダックス創業家一族の「亀裂」——週刊誌が暴いた長男の醜態

一斉を風靡したカラオケチェーンの瓦解(番外編2)
ソニー・盛田家、セイコー・服部家、ロッテ・重光家、国際興業・小佐野家など、有名企業の創業一族の、知られざる相続トラブルを、驚異的な取材力で明らかにし、大きな反響を巻き起こした『亀裂――創業家の悲劇』。
この本の著者の高橋篤史氏が、シダックスの経営迷走と、中伊豆のワイナリーにのめり込む創業者・志太勤氏、事業を継いだ長男・勤一氏らの動向などを克明に描き出す、『亀裂』番外編。

創業家の次男と長女

創業者・勤氏は富路夫人との間に2男1女をもうけている。かつてその3人はそれぞれの立場でシダックスの経営に関わっていた。40歳の若さで社長職を引き継いだ勤一氏については説明するまでもないだろう。

では、ほかの2人はどうなったのか。

志太勤一氏(シダックスホームページより)

勤一氏の6歳年下にあたる次男・正次郎氏は早稲田大学を卒業しセブン‐イレブン・ジャパンで1年ほど働いた後の1989年、シダックスフードサービスに入った。その後、社員食堂の共通バウチャー事業の責任者を任され、病院内売店事業を行う子会社の社長を務めるなどしている。そして2004年には本体の副社長となった。

ところが2008年9月末、突如として取締役を辞任してしまう。表向きは健康上の理由とされた。

以来、シダックスの経営には関わっていない。

シダックスフードサービスのホームページより

他方、一番年下の長女・優子(後に結子)氏は直接ではないものの、間接的に経営に関わる立場にあった。野村證券に勤めていた藤田一郎氏と結婚し、その藤田氏が2000年暮れ、シダックス子会社の顧問となり、経営に参画したのである。

藤田氏は4ヵ月後、本体の取締役に就任、翌2002年には常務に昇格した。さらに2007年には資本参加した車両運行サービス会社、大新東(翌年に子会社化)の副社長に派遣され、重責を担うこととなる。

ところが、この藤田氏も正次郎氏辞任の翌月、大新東の取締役を退任、シダックスから離れてしまうのである。4年前の4月、妻の結子氏は37歳の若さで死去しており、創業家との関係には微妙な影が差していた。

かつて勤氏の側に仕えた関係者の見立てによれば、2人の離脱は勤一氏に嫌気が差した末のことだったのではないかという。

長らく赤字に沈んでいたことで明白だが、当初の頃から今日に至るまで勤一氏の経営手腕は決して評価が芳しいものとは言えない。

  • 『成熟とともに限りある時を生きる』ドミニック・ローホー
  • 『世界で最初に飢えるのは日本』鈴木宣弘
  • 『志望校選びの参考書』矢野耕平
  • 『魚は数をかぞえられるか』バターワース
  • 『神々の復讐』中山茂大