2022.11.24
# ライフ # 歴史

世界が「奇跡の歌声」に絶賛…!オペラ歌手「三浦環」アメリカ公演成功の舞台裏と「過酷なエピソード」

代表作《歌劇 マダム・バタフライ》を国内外で2000回公演し、大戦下の欧米で数々の舞台に立った、日本のオペラ歌手三浦環。環は夫、三浦政太郎と共に第一次世界大戦の戦火が迫るドイツ・ベルリンからロンドンに逃げ、アメリカに渡り、歓迎され、ホワイトハウスでも歌唱しました。

そんな三浦環の活躍を映画『ゲゲゲの女房』などを手がけた、脚本家の大石みちこさんがまとめた、伝記ノンフィクション『奇跡のプリマ・ドンナ オペラ歌手・三浦環の「声」を求めて』が上梓されました。本稿は、その中から一部を編集しお伝えします。

夫と離れ単身でシカゴへ

大正四年(1915)九月。

環と政太郎を乗せた船が出帆する前、船で渡る大西洋にはドイツの潜水艦が出没するのではないかと危ぶまれた。けれどもひとたび船が大洋へ出ると、環も政太郎もひどい船酔いに苦しんだ。潜水艦と遭遇することなく、無事ニューヨークへ着いた時は二人とも命拾いしたこと以上に船酔いのない地上へ上陸することが嬉しかった。

三浦環(Photo by gettyimages)三浦環(Photo by gettyimages)
 

港でニューヨークの在留邦人が総出で出迎えたところへ、ボストン・グランド・オペラ・カンパニー総支配人、マックス・ラビノフが現れた。ロンドン・オペラハウス《歌劇 マダム・バタフライ》の環の評判を聞き、アメリカでの公演を打診し、旅費を送ってきた男である。

ラビノフは早速、環へ二つのことを言い渡した。一つは、常に日本の着物を着ていること。これについては環は何の抵抗もなくうなずいた。そして、ラビノフは、

「もしかして、あの方はドクター・ミウラでしょうか」

と、出迎えに来た在留日本人と話している政太郎の方を見た。環はうなずいた。

「外出する時は、ドクター・ミウラと一緒に歩かないでください」

あなたの人気に関わる大問題なのだと言う。政太郎のことまで口出しされるのは理不尽に感じた。ロンドンから動かないと言い張った政太郎を説得してついてきてもらったというのに。けれどもラビノフはこれから契約を結ぶマネージャーである。従うしかなかった。環は政太郎と別行動をとる決心をする。

関連記事