産経新聞運動部長の職にあった川越一さんがくも膜下出血で倒れたのは、2018年のこと。九死に一生を得ながらも、高次脳機能障害で記憶があいまいなまま退社、そして妻との離婚届に判を押していた……。
前編記事『くも膜下出血で倒れた後、スマホを見た妻に浮気がバレて…昭和気質の48歳男性を待ち受けていた「残酷な運命」』に続き、突如としてくも膜下出血に襲われた川越さんの境遇を追っていく。
「パパには埼玉にいてほしい」
秋田に住む、川越さんの母親が明かす。
「息子が倒れた日、有希枝さん(仮名・川越さんの元妻)から連絡がありました。手術もできないほど悪い状態だと言って、その後は二人の娘と一緒に泣きっぱなしでした。
有希枝さんはとてもいいお嫁さんで、息子が倒れた後は毎日病院に行ってくれて、私にまめに報告もしてくれました。会社の偉い方が、わざわざ秋田まで来てくれたこともあったんです。
ですが、しばらくして彼女から『離婚しますので、(川越さんを)秋田に連れて行ってくれませんか』と言われたんです。施設を探したんですが、空きがなく困り果てていたところ、また連絡があり、娘たちが『パパには埼玉にいてほしい』と泣いて有希枝さんに頼んだと。それで秋田に引き取る話はなくなりました」

その後、川越さんは介護老人医療施設に移され、障害者認定の検査を受けた。結果は「障害等級第一級」。それは常時介護が必要な、最も重い障害を持つことを意味する。
そして昨年6月、3回目の転院で、川越さんは現在入居している障害者療護施設に入った。ここで初めて、社会から切り離された感覚を味わうことになる。