2010.08.13
# 雑誌

加賀乙彦[作家] 自分らしく幸福に死ぬために必要なこと

軽井沢の自然に抱かれて生と死を想う
セオリー

 僕はスケートが趣味でして。フィギュアの先生について習っていたこともあったし、軽井沢プリンスホテルのスケートセンターには、妻とふたりでよく滑りにいってたんです。

  『アンナ・カレーニナ』の中で登場人物のキティがスケートをするシーンがあるんですが、スケートを滑れなきゃ、あんな書き方はできない。トルストイは相当上手いんじゃないかと僕は踏んでいたんですが、原さんがいろいろ調べてくれた結果、どうも滑れなかったらしい。予想は見事にはずれましたが、ともかくそれが縁でご近所づきあいが始まった。原さんは大酒飲みでしたからね。よくふたりで飲みました。

1974年、追分に別荘を建てた頃の加賀さん一家。幼かった子どもたちは成人し、今は孫と共に別荘を訪れる

 評論家の加藤周一さん[*3]もご近所でした。夕方散歩していると、ひょっこり会って「おう」って感じで立ち話をしてましたね。

 そうそう、堀辰雄[*4]の奥さん、多恵子さんの家も追分で、遊びに行くとよくご馳走してくれたものです。

 旧軽井沢や中軽井沢、三笠のほうにも作家は大勢いました。

 原卓也さんや僕が発起人になって、追分の「本陣」という旅館にみんなが集まって酒を飲む「追分の会」を作ったんです。

 小島信夫さん、中村真一郎さん、辻邦生さん、遠藤周作さん、矢代静一さん[*5]が出席して。会は中村さんが亡くなる十数年前まで続いていました。

 東京にいるときはバラバラだけど、軽井沢にいるとなぜかみんなでしょっちゅう会って飲みに行く。自然と家族同士も仲良くなる。人をリラックスさせる、そういう不思議な空気がここにはあるんです。

ここに来れば、自然が僕に語りかけてくれる

 僕は執筆に行き詰まると、必ずここに来るんです。すると、不思議なことにとたんに書けるようになる。小説というのは対話が命。ここでは自然が僕に語りかけてくれるからでしょうか。

 軽井沢というと避暑地のイメージが強くて、みなさん、夏しか来ない。どうしてでしょう。夏だけじゃなくて、他の季節も負けないくらい素晴らしいのに。

 とにかく自然の変化が面白いんです。春先は新芽が出て、小鳥が集まってきて卵を産み子を育て、5月になると花が咲く。ここでは桃と桜と梅がいっせいに咲くから、そりゃあ壮観です。それから緑の季節になって、春蝉が滝みたいにいっせいに鳴き出す。梅雨時にガマが出てきてガアガア合唱を始めたら、今度はヤマボウシが白くなり始めて・・・。同じように秋の紅葉も冬枯れも、それぞれ風情があって美しいんです。

老いた者、弱った者にとって、自然が与える喜びはかけがえがない

*3 加藤周一:
評論家。1919~2008年。国内外の大学で教えながら文学、美術、政治などについて評論活動を行った

*4 堀辰雄:
作家。1904~1953年。軽井沢を舞台に『美しい村』など多くの作品を残した。多恵子夫人は2010年4月没

*5 「追分の会」の作家たち:
小島信夫 作家。1915~2006年/中村真一郎 作家・詩人。1918~1997年/
辻邦生 作家・フランス文学者。1925~1999年/遠藤周作 作家。1923~1996年/
矢代静一 劇作家。1927~1998年

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