後鳥羽・実朝・義時それぞれの利害が一致?「親王将軍擁立工作」とは

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第43・44話
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビュー。今回は、先週放送の第43話「資格と死角」、昨日放送の第44話「審判の日」について、専門家の立場から詳しく解説します。

『鎌倉殿の13人』の第43話では親王将軍擁立工作、第44話では鶴岡八幡宮における源実朝の右大臣拝賀を舞台とした暗殺計画が描かれた。後鳥羽上皇、源実朝、公暁、北条義時、三浦義村、源仲章、それぞれの思惑が交錯し、事態は予想外の展開を見せた。歴史学の観点から第43・44話のポイントを解説する。

親王将軍擁立工作

建保年間、幕政は安定していたが、一つ大きな問題が残されていた。実朝の後継者が不在であるという問題である。坊門信清の娘が将軍家に嫁いで12年の歳月が流れたが、2人の間には1人の子どもも生まれなかった。にもかかわらず、実朝は側室を持とうとしなかった。坂井孝一氏は、彼女の従兄妹である後鳥羽上皇への遠慮があったと推測している(『鎌倉殿と執権北条氏』NHK出版、2021年)。

では頼家の遺児である公暁・禅暁らはどうか。彼らは既に出家しているものの、還俗して鎌倉殿になることは可能である。しかし、彼らが鎌倉殿後継者に位置付けられた形跡はない。結果的に頼家を抹殺してしまった北条政子・義時にとって、公暁らを鎌倉殿として上に戴くという選択肢はなかったのだろう。

源頼朝・北条義時関係系図

他の選択肢としては、源氏一門の中から鎌倉殿を立てることが考えられる。だが、この案を検討し始めると、有資格者が多くなりすぎてしまう。阿野時元(全成の息子)・大内惟信(平賀朝雅の甥)・源頼茂(源頼政の孫)はもとより、足利氏や武田氏も候補になり得る。深刻な派閥抗争が勃発することが予想される。さらに言えば、既に源氏一門と同格以上の立場にいる北条氏が今さら源氏一門の風下に立つことは、義時にとって許容できない。

ここで実朝・政子・義時らは発想を転換した。後鳥羽上皇の皇子を次期鎌倉殿、次期将軍として迎えるという案を思いついたのである。すなわち親王将軍擁立構想である。

建保6年(1218)正月15日、北条政子は弟の時房を連れて熊野詣に行くことを決定した。政子は2月4日に鎌倉を出発し、やがて京都に入った。『吾妻鏡』は、4月14日に在京中の政子が従三位に叙せられたこと、15日に後鳥羽院に招かれたが恐れ多いと断ったこと、29日に鎌倉に帰還したこと、北条時房が在京中に後鳥羽院の蹴鞠の会に参加したことのみを記す。

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