「昼逃げ」することをついに決断
今すぐにでもここを出よう。タカコさんは決意した。それから仕事で世話になっている先輩などを頼ってアパートを借り、ある日、家族が出勤したあと、友人に軽トラックを出してもらって自分が結婚するときに持ってきたものや、その後、自分で買った家財道具を積み込んで家を出た。
「考えたら、私、結婚して夫の実家に入るとき、退職金で電子レンジや洗濯機など、いろいろな家電を買わされたんです。ちょうど義母や義姉が家電を新しくしたい時期だったみたい。だからそれらはみんな持って出ました」

離れた場所に転居したので、役所にはタカコさんと子どもたちの転入先を伝えないよう届けを出した。携帯電話もその日に取り替えて番号を変えた。
「数年後にやろうと思っていたことを、急遽、実現することになってしまったので、相談していた友人たちには迷惑をかけましたが、みんな協力してくれてありがたかった」
何年も、夫や義母のモラハラまがいの言葉はノートにつけていたし、録音したものもある。友人の知り合いの弁護士が力になってくれ、1年がかりでようやく離婚にこぎつけた。
義母も夫も、子どものことはほとんど言わなかったという。女の子だから取られずにすんだのだろうけど、女の子だからと軽んじられているのは許せないとタカコさんは身を震わせた。
「直接的な暴力はなかったけど、体の傷同様、心の傷だってつらい。私は今でも、次女の離乳食事件を夢に見て叫びながら目を覚ますことがあります」