皮肉にも戦艦「大和」を「無用の長物」に変えてしまった、山本五十六の「革新的すぎる新戦略」

史上最大の戦艦・大和が完成しました。その巨体もさることながら、主砲に採用された46cm砲も、艦砲としては世界最大のスケールを誇りました。しかし、残した戦果や実戦歴から、無用の長物と言われたり、航空機による戦闘が主流になりつつある時代に逆行していたことから"時代錯誤の大艦巨砲主義の産物"ともいわれています。

しかし、前回の〈史上最大の戦艦「大和」に搭載された「46センチ主砲」の「ヤバすぎる威力」〉で見たように、大和に導入された技術は、非常にレベルの高いものでした。その高い技術力が存分に発揮されなかった原因として、航空機戦力への転換と言われています。では、戦力としての航空機活用はどのように始まったのでしょうか?

今回は、大和をめぐる海戦の変化を見てみたいと思います。解説は、『日本史サイエンス』『日本史サイエンス〈弐〉』の著者で、船舶設計技師の播田 安弘さんです。

構造上の問題点とは

戦艦大和の防御力として、その艦体を守る装甲について見てみると、場所に応じて鋼材が使い分けられていました。装甲のしかたは、おもに表面硬化装甲と、均質装甲に分けられます。

表面硬化装甲とは、表面を硬化させた装甲板による装甲です。じつは装甲は硬ければよいというわけではありません。硬いだけでは反面、脆さも生じ、壊れやすくなるのです。そこで衝撃を受ける表面のみを硬くし、裏面は衝撃を受けとめる柔軟さをもたせた装甲が表面硬化装甲です。

表面だけを硬化させるには、表面に炭素を吸収させて焼き入れをする浸炭処理という方法がよく用いられ、こうしてつくられた装甲を浸炭装甲といいます。

表面硬化装甲は、砲弾が深い角度(垂直に近い)で命中する部分に適していることから、戦艦では主砲の砲塔などに用いられました。

一方で、砲弾が比較的、浅い角度(水平に近い)で命中する部分は、硬い表面の脆さのほうが効いてきて、割れてしまう可能性が高まります。そこで、そうした部分には焼き入れをせずに、全体に柔軟さと強さをあわせもつ均質装甲が用いられました。

大和の装甲は、上甲板側部は厚さ230mmのMNC鋼を使った均質装甲、艦側上部から喫水以下は410mmのVH鋼を使った表面硬化装甲、喫水下部には200mmのMNC鋼を使った均質装甲でした。大和の主砲の砲塔は、前面は650mm、上部は270mmのVH鋼による表面硬化装甲が施されました。これは戦艦の砲塔としては史上最も厚い装甲でした。

MNC鋼はニッケル(Ni)とクロム(Cr)からなる鋼にモリブデン(Mo)を加えて粘り気を増した均質装甲です。VH鋼は浸炭処理をせずに硬化処理して強度を増した新型の表面硬化装甲で、大和で初めて採用されました。これにより大和の主砲は、上面を爆弾が直撃しても、びくともしなかったようです。

しかし、大和には構造上、大きな問題もありました。艦側上部の410mmVH鋼と、下部の200mmMNC鋼とは溶接ができなかったため、継手が鋲で留める鋲接になっていたのです。そのため側面に魚雷を受けると、衝撃で鋲が外れ、200mmMNC鋼板が内側に変形し、ここから浸水してしまうおそれがありました。

【写真】大和 防御の問題点410mmVH鋼とその下の200mmMNC鋼板とは鋲接合。魚雷をバルジに受けると、衝撃で鋲が吹っ飛び200mm鋼板が内側に変形し、ここから浸水した(『日本史サイエンス』より一部改変)

近代日本の成長の証だった

こうして戦艦大和の能力をみていくと、いくつか問題点はあるにせよ、よくぞこのようなものをつくれたものと、素直に感動をおぼえます。1853年に米国のペリーが来航したときにはまだちょんまげを結っていて、黒船を見て肝をつぶした日本人が、それから80年ほどで世界最大の戦艦を建造したことは、やはり驚くべきことでしょう。

しかし、日本人の高い技術力のシンボルとなるはずだった戦艦大和は、誕生直後から、手放しでは歓迎されない状況に立たされることになったのです。