「中国・ロシアに侵される日本領土」を撮り続ける写真家が日本人に伝えたい、たった一つのこと

近藤 大介, 山本 皓一 プロフィール

戦後初めて北方領土に入った日本人ジャーナリスト

近藤: そうだったんですね。ヤマコーさんはまさに、「日本現代史の生き証人」だ。

先週、ある国会議員に呼ばれて事務所へ行ったら、ご新著『中国・ロシアに侵される日本領土』が置いてありました。「読んだか?」って聞かれたから、読んで感銘を覚えた箇所を指摘したら、「ほう」と言って、折り目を入れていました(笑)。

山本: 私にとっての国境へのこだわりは、「尖閣を守れ」「北方領土を返せ」というスローガンではないんだよね。日本人に、日本の国境で起きている現実に目を向けてほしい。先人たちが血と汗と涙を流して国境の島を開拓してきた歴史を抹殺してはならないという想い――その一念なんです。

近藤: なるほど。日本は四方を海で囲まれた島国だから、「国境」と言っても、なかなかピンと来ませんからね。

北方領土、尖閣諸島、竹島、沖ノ鳥島・南鳥島……ヤマコーさんの国境へのこだわりは、そもそもどうやって生まれたのですか?

山本: きっかけは、北方領土だよ。1989年に、戦後初となる稚内港から直接船でサハリン(樺太)への訪問団に、カメラマンとして真岡港(ホルムスク)へ入った。

翌1990年1月、北方領土問題解決の糸口を探るため、安倍晋太郎外相がモスクワへ飛び、ミハエル・ゴルバチョフ書記長と会談。ソ連側が初めて北方領土問題の存在を認め、「英知ある解決をしよう」と述べた。その会談にオレは立ち会って、「ゴルバチョフvs.安倍晋太郎」の真剣交渉の一部始終を撮った。

近藤: その頃、安倍晋太郎外相は、すい臓がんが、かなり進行していたのでは?

山本: そう、病身を押して外遊する姿には、鬼気迫るものがあった。その時、秘書として同行していたのが晋三さんで、「日本外交の歴史的成果を日本国民に報告する場で、父の土気色した顔は見せられない」と相談を受けた。それで現地のTVスタッフから借用したドーランを晋太郎外相の顔に塗り、口の中に含み綿を入れて頬がふっくらするようにしたの。

晋三さんはそんな父親から、「領土とは何か」を学んだんだね。まさに親子二代、命を削って北方領土問題の解決に取り組んだ。

巨大なロシア船に見張られながらのコンブ漁(2022年)
 

近藤: 安倍晋太郎氏は、翌年4月、ゴルバチョフ大統領が最初で最後の訪日を果たした時、衆議院議長公邸で面会しましたね。私は雑誌協会代表記者として現場で取材しましたが、その時も晋太郎氏は背広の下に綿を入れて臨み、ゴルバチョフ大統領とがっちり握手した。亡くなったのはその翌月でした。

山本: そうだったね。1992年にロシア側が、北方領土への「ビザなし渡航」を認めたのも、晋太郎外相の功績だった。

私はその2年前の1990年1月、モスクワに同行取材したことがきっかけとなって、同年5月、それまで渡航困難と言われた北方領土の択捉島に、日本人ジャーナリストとして、戦後初めて入った。

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