僕はこの日記を読んで、收三さんが真珠湾攻撃を「みずからの死」という悲壮感とともに受け止めていたことに、はっとさせられる思いだった。真珠湾攻撃が日本側から語られるところの「成功」に終わり、参加した隊員のほとんどが生きて帰ったという結果を知っている現在の僕たちは渦中にあった隊員たちの思いに鈍感になりがちだが、彼らにとっては、アメリカという大国と戦火を交える12月8日は自分の命日と受け止めるのが自然だったのだ。
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ほかの隊員たちは、真珠湾攻撃やそこで死ぬ可能性があることについてどう考えていたのだろうか?【後編】の「「体の血がサーっと…」、真珠湾攻撃の「唯一の生き残り」が語った「攻撃直前、死への覚悟」」では、別の人物の証言をご紹介する。