今もなお、多くの人の心を揺さぶる伝説のロックシンガー尾崎豊さん。妻の繁美さんが、没後30年の今年、長く封印してきた尾崎豊さんへの想いや心にずっと秘めてきたことを語る連載の8回目。

前回の記事では、繁美さんが19歳、豊さんが21歳のとき、ふたりがステディな関係になった後に直面した試練について紹介しました。

試練とは、ニューヨークから帰国した尾崎さんが薬物に侵されていたこと。異変に気付いた繁美さんは、「彼を脅かしているだろうクスリから遠ざけたい」という一心で豊さんを連れて全国各地を旅し、心に寄り添いながら笑顔を絶やさずにがんばっていました。しかし、「元の彼に戻したい」という繁美さんの思いは届かず、覚醒剤取締法違反で逮捕。その後、拘置所からのプロポーズ。繁美さんは19歳にして「何があっても豊さんを支える、豊さんの人生を背負う」と決心します。

今回は、出所して間もない頃の生活とともに、前編では婚約するまでの豊さんらしいエピソードと彼を信じ支える繁美さんの姿をお伝えします。

以下より、尾崎繁美さんのお話です。

 

豊の光と影…それを丸ごと受け止める

前回の記事でご紹介した拘置所からプロポーズの手紙を読んだとき、「ふたりでジェットコースターのように乱高下しながら、豊のすべてを受け入れていこう」という覚悟が芽生えました。

当時の彼はそれこそ、稀代のロックスターで、ガールフレンドも多かった。でも、重要な相談事や心の内に抱えている葛藤や疑問などを打ち明けるのは私にだけでした。最終的なところで、「繁美はどう思う?」「繁美だったらどうする?」と答えをいつも求めてきて……。

繁美さんの前では、ロックンローラーとしての姿だけでなく、素の姿をたくさん見せていた豊さん。写真提供/尾崎繁美

豊の楽曲には人が抱える「どうにもならないさみしさ」にそっと寄り添う作品が多いです。その源には、彼が幼いころから抱えていた孤独、苦しみや悲しみ、無条件の愛を求める気持ちがあります。それは、どこまでも深く、温かいこともあれば、ときには火傷するほど熱く、またゾッとするほど冷たいこともあります。この涌き出でるパワーが、強いカリスマ性を発し、激しい行動を起こすこともあれば、相手を慈しみ愛する力も生み出していく。

豊の魅力は、この相対するふたつの要素を持っているところから生まれていると私は感じていました。ある人は、その光の部分だけを見て「尾崎は最高だ」と称賛し、ある人は闇の部分だけを見て「尾崎には付き合い切れない」と言う。最初は豊の光だけを見て近寄ってきて、利用する人もいました。豊はそういう心がない人間関係にうんざりして、次第に人づきあいを整理していきました。

今、思うと当時の私は最初の出会いから、豊が持つこの相反する2つの力に気付いていたのかもしれません。そして豊も、私が彼の2つの力に気づき、豊の人生を受け入れることを見抜いていた……。豊のすべてを受け入れ、時に厳しく接するのは、当時は私だけでした。私たち自身がお互いにとって欠かせない表裏一体の光と影のような関係性であり、だから豊は私を伴侶として選んだのだと思います。