誠実な想いと給料3ヵ月分の婚約指輪
彼の実家での穏やかな生活の中、1988年3月12日、私の20歳の誕生日のときに、豊は私のバースデーディナーと、自分の出所祝いを企画しました。彼が予約してくれたのは、飯田橋の高層ビルにあった夜景が美しい中華レストラン。そこに2人で向かう途中、彼は銀行のATMに立ち寄り100万円の現金を引き出しました。そして、池袋西武の宝飾売場に私を連れて行き、「婚約指輪を買ってあげる、どれがいい?」とダイヤモンドの指輪を突然買ってくれました。
私は豊がニューヨーク生活でお金を使い果たしていることを知っていたので、「前に縁日で買ってもらった指輪があるから要らないよ」と言いました。以前、靖国神社の縁日に行ったときに300円のセルロイドの指輪を「はい、婚約指輪。本番はダイヤモンドの指輪を買ってあげる」と私の指にはめてくれたのです。それは赤いおもちゃのルビーがついた愛らしいもので、私はありのままの無垢な彼の優しさに触れて、とても満たされていました。
でも、豊は「本番はダイヤモンドの指輪を買う」という約束を守ってくれたのです。当時、「婚約指輪は給料の3か月分」という社会通念のようなものがあり、婚約指輪の代金は68万8千円で、デザインは西武オリジナルでした。豊は逮捕・勾留のせいで給料を減額されていたのでその時の給料が手取りで30万円ちょっと。「今は給料の3ヶ月分にも満たないけど、次は指からはみ出るくらいのを買ってやる」と、いつも私を喜ばそうとしてくれて……。この日も誕生日だからと奮発してくれましたが、高価な指輪よりも、彼のその真摯な気持ちがとてもうれしくて。何より一緒にいられるだけで十分幸せでした。

予約した中華料理店には、豊の両親と私の母と妹がいました。両家の親が顔を合わせたのは、この時が初めて。食事が始まると豊は「パパパパーン、パパパパーン♪」とメンデルスゾーンの『結婚行進曲』を口ずさみ始め、ダイアモンドの婚約指輪の箱を開き、私の手を取り左手の薬指にそっとはめてくれました。そして満面の笑みで「僕たち、婚約しました!」と宣言。
両親たちは、ポカーンとしちゃいますよね。そこで、いち早く我に返った豊のお父さんが、「それは繁美さんの親御さんにご挨拶してからだろ。順序が逆だ!」とあたふた。私の母は、少し驚いていましたが、すでに私の気持ちを知っていたので、ひたすら微笑んでいました。