総理を退いて以来、目立たず騒がず「ご隠居」のように振る舞ってきた。だが全ては、再起のための芝居だったのだ。政権を吹き飛ばす嵐のあと、最後に立っているのは、この男だけかもしれない。
岸田の終焉、麻生の憂鬱
「ナイスショット!」
降り注ぐうららかな瀬戸内の陽光。目を細めてボールの行方を追うのは、副総裁の麻生太郎だ。
11月20日、麻生は自身の資金管理団体「素淮会」中国地方支部の幹部を伴い、広島県呉市の郷原カントリークラブをラウンドしていた。麻生のゴルフの腕前は政界有数だ。
だがこの日の球筋には、やや迷いがあった。

〈岸田を、いつまで持たせられるか……〉
総務大臣・寺田稔の辞任が速報されたのは、その日の夕方のことである。
「実は前日の19日夜、呉のホテルで開かれた素淮会の会合に(呉を地盤とする)寺田さんが出席し、麻生さんと話したんです。寺田さんはそれまで『辞任はしない』と頑なに言っていたのに、一夜にして辞めた。地元では『ありゃ麻生さんが引導を渡したな』と言われている」(自民党広島県連幹部)
寺田の妻は宏池会、すなわち岸田派の祖である元総理・池田勇人の孫で、岸田は更迭を躊躇っていた。しかもここ数週間の岸田は誰にも心を開かず、もはや後見人の麻生や、幹事長の茂木敏充ら政権中枢とさえ、まともに意思疎通のとれる状態ではなくなっている。