想い出の『レッドシューズ』で幸せを実感

二次会は西麻布の『レッドシューズ』でした。周囲にはハウンド・ドッグのメンバーほか、たくさんの人がおり、その全員が既婚者でした。結婚している人ならではの、落ち着き、余裕、寛容さのようなものが伝わってきたからなのか、このとき、自分たちも夫婦になったのだという実感がジワジワと湧いてきたのです。私だけでなく、豊も同じように感じたみたいでした。

気分が良くなってきた豊は「俺たちも入籍したこと社長に言おう」と言い出し、これにはかなり焦りました。披露宴の会場だった日清パワーステーションはライブハウスで、大友さんが奥さんに捧げる歌を熱唱したり、ハウンド・ドッグのオリジナル曲を披露していました。途中、大友さんが「今夜は俺が主役だ。尾崎には歌わせない!」と冗談混じりにステージで言っていたので、結婚したことをこの場で発表したら、今宵の主役は大友さんなのに……。その場の雰囲気が一変してしまうなんてことはあってはなりません。もうハラハラドキドキでした。

名だたるロッカーたちが集まった大友康平さんの披露宴。その日入籍したことは内緒だったという。photo/iStock
 

そして、耳元で「この店で今、一番幸せなのは俺たちだから」と囁き、ジャックダニエルのロックで乾杯をしました。これが豊と私の夫婦になった日の夜でした。ウエディングドレスを着なくても、結婚式をしなくても、私はこれからずっと豊と一緒にいられる。それが私にとって、この上ない幸せなのだと強く感じました。

私たちはふたりで大友さんご夫妻に「おめでとうございます」と伝えると、大友さんは「次は尾崎の番だな」と言ってくださり、そのときの豊のはにかんだ笑顔は、今でも鮮やかに思い出せます。

このときに行ったレッドシューズは、豊と私にとっても想い出の場所でもあります。
ふたりが出会った日に、4次会で行った朝6時のレッドシューズで口説かれました。好きになるのに怖気づくほど、光り輝いていた豊。彼の無邪気な愛情表現と、圧倒的な才能に引き込まれ、気がつけば、眩しすぎて眼をつぶってしまいそうな距離にいました。出会ってからの2年間は、彼が光り輝いているために、私がその眩しさと、眩しすぎて感じる暗闇の両方を受け入れ、覚悟をする日々だったのかもしれません。彼の強すぎる光を受け止め、影になること……、それが私にとってのロックンロールだった気がします。

この日から始まった尾崎豊との結婚生活。20歳と22歳の若いふたりでしたが、見えない運命の糸で結ばれている伴侶として、互いにこの人しかいないという想いと覚悟の決断だったのです。

◇次号では、結婚後のエピソードについてお伝えしていきたいと思っています。

取材・文/前川亜紀

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