2022.12.03

歴戦の零戦隊指揮官が遺した「真珠湾攻撃の機密書類」に書かれていた「中身」

奇跡的に残された書類の数々

昭和16(1941)年12月8日、日本海軍機動部隊の「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」6隻の空母を発艦した350機(第一次発進部隊183機、第二次発進部隊167機)の攻撃隊は、米太平洋艦隊の拠点だったハワイ・真珠湾を奇襲、わずか2時間たらずの攻撃で米艦隊と航空部隊を壊滅させた。

――それから81年。いま、筆者の手元に「軍機」(軍機密)や「軍極秘」の朱印が押された「真珠湾攻撃」の書類の束がある。空母「赤城」分隊長で、真珠湾攻撃第二次発進部隊制空隊(零戦隊)指揮官をつとめた戦闘機乗りが広島の生家に遺していたものだ。真珠湾から帰還したのち、処分の機会を逸したまま保管され、原爆の劫火も免れ、本人歿後は遺品整理で危うく処分されるところを救い出すことができた。奇跡的に残ったこの「重要書類」には、どんなことが書かれているのだろうか。<【前編】真珠湾攻撃計画が伝えられたとき、「赤城」の飛行隊長が誰ともなくつぶやいた「本音の言葉」>に引き続き解説する。

昭和16年12月8日、日本海軍機による奇襲を受け炎上する米太平洋艦隊
 

戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に

昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。この月、搭乗員一人ひとりの訓練回数は、射撃訓練、空戦訓練ともに10数回を数えた。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。

11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦の実施が伝達された。その日の夜半、特別集合訓練が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。

〈十一月四日 ハワイ攻撃を想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前七時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日 〇五〇〇より訓練開始〉

と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九艦爆のなかには不時着する機も出た。

特別集合訓練が終了すると、「赤城」「蒼龍」は横須賀、「加賀」「飛龍」は佐世保、「翔鶴」「瑞鶴」は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が実施されている。

無線帰投方位測定機は、ダイヤルで周波数を合わせて機上のループアンテナを手動で回し、電波(長波)の送信源の方位を測定する装置である。電波を受信して計器板左下にある航路計の針を真ん中に合わせれば、機首は送信源に向く。

クルシーによる帰投訓練は、熊本放送局の電波を利用して行なわれた。クルシーさえ使えればいかなる場合にも母艦に帰れる。この安心感は一人乗りの戦闘機の搭乗員にとって大きなものだった。

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