2022.12.03

歴戦の零戦隊指揮官が遺した「真珠湾攻撃の機密書類」に書かれていた「中身」

奇跡的に残された書類の数々
神立 尚紀 プロフィール

「Tiger!Tiger!Tiger!」

11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。17日、「赤城」飛行甲板上で、南雲長官以下、機動部隊の幕僚、指揮官を集めた壮行会が行なわれ、列席した山本五十六連合艦隊司令長官は祝杯をあげるとき、「征途を祝し、成功を祈る」と、沈痛な面持ちで一言だけ述べた。

「赤城」が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。

空母6隻を主力とする機動部隊は、ひとまず北へ向かい、千島列島の択捉島単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。6隻の空母の全飛行機搭乗員には、この間の航海中に、ハワイ作戦のことが伝えられている。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。

11月24日、6隻の空母の全搭乗員が「赤城」に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と最終打ち合わせが行われた。進藤たち分隊長以上の指揮官には、それぞれの任務に合わせた書類が配布された。

進藤の手元に残ったハワイ作戦関連の軍機書類綴りの日付の大部分は、この日から始まっている(一部、あらかじめ作られた22日、23日付の書類もある)。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や、発進後の集合、米艦隊の襲撃方法、各機ごとの呼出し符号、各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。さらに、現地の諜報員(スパイ)のもたらした敵艦の停泊状況をはじめ、軍港や飛行場の見取り図、気象データ、人口構成などをこと細かに記した書類も配布された。それによると、1941年7月1日現在のハワイの人口465,339人のうち、人口比のもっとも多いのは日本人159,534人、次いで白人141,627人、比島(フィリピン人)52,060人などとなっていて、現地人(書類には「土人」と表記)は14,240人、現地人と他民族とのハーフ(書類では「半土人」と表記)は52,445人にすぎない。

〈軍機 機密第一次發進部隊命令作第一號 昭和十六年十一月二十四日單冠湾軍艦赤城 第一次發進部隊指揮官 渕田美津雄〉と題する書類には、米艦隊の大部分がオアフ島の真珠湾に在泊している場合と、マウイ島沖のラハイナ泊地にいる場合の両方のパターンを想定し、敵が気づかない「奇襲」が成功した場合と、敵が待ち構えるなか攻撃する「強襲」の場合の攻撃隊のフォーメーションがこと細かに記されている。

目を引くのは、第一次発進部隊の攻撃目標が、淵田中佐直率の水平爆撃隊(九七式艦上攻撃機49機・800キロ爆弾)が〈一・主目標 戦艦(四隻以内)爆撃、二・副目標(一)空母、(二)甲巡、(三)その他の艦艇〉、村田重治少佐指揮の雷撃(九七艦攻40機・魚雷)隊は〈一・主目標 戦艦(四隻以内)空母(四隻以内)雷撃、二・副目標(一)甲巡、(二)その他の艦艇〉となっていて、戦艦が最優先とされていることだ。水平爆撃隊の主目標が戦艦なのは、800キロ徹甲弾は分厚い戦艦の装甲を貫くように設計され、ペラペラの空母の甲板では突き抜けてしまい効果が薄いと判断されたためである。高橋赫一少佐の急降下爆撃隊(九九式艦上爆撃機51機・250キロ爆弾)は米軍航空基地を爆撃する。板谷茂少佐が率いる制空隊(零戦43機)は、各航空戦隊ごとに地上銃撃の目標が定められた。

真珠湾攻撃第一次発進部隊の編成と攻撃目標
 

第一次発進部隊はX日午前1時30分(日本時間)に6隻の空母より発艦。高度500メートルを左回りで旋回しながら集合、集合を終えれば高度3000メートル、計器速度125ノット(時速約232キロ)で真南に向けて進撃する。

オアフ島北端のカフク岬まで30浬(約56キロ)の地点まで飛んだところで総指揮官・淵田美津雄中佐が信号銃一発を発射、攻撃隊各群の指揮官も信号銃を放ってそれを末端まで中継する。「突撃準備隊形制(ツク)レ」(トツレ)の合図である。状況により指揮官機から「トツレ」と無電を発信することも認められていた。

第一次発進部隊の進撃順序を記した図

ここで戦闘機隊は高度を4500メートルにまで上げる。総指揮官機がオアフ島東部のカネオヘ湾上空に達し、米艦隊を真珠湾に遠望できたら、「全軍突撃セヨ」を表す「ト連送」(モールス信号の・・-・・を繰り返す)を発信する。

空中に敵戦闘機を見ず、敵艦隊が静まり返っているようなら奇襲成功の合図として「ト連送」に短符3つの「ラ」・・・を付し「・・-・・ ・・・」を繰り返し発信(トラ連送。世に言う「トラ・トラ・トラ」である)、さらに信号銃一発で攻撃隊に「奇襲成功」を知らせることになっていたが、進藤大尉の書類綴りに「トラ・トラ・トラ」に関する記載はない。

攻撃隊が使用する電波の周波数や符号を記した頁。「軍極秘」「用済後要返却 機上携帯厳禁」とある

筆者はかつて真珠湾攻撃60周年記念式典(2001年)のため、攻撃に参加した元搭乗員たちとハワイに行ったが、そのときホノルルの陸軍博物館に「トラ・トラ・トラ」を「Tiger!Tiger!Tiger!」と訳したパネルが大きく飾ってあって参加者一同ズッコケたことがあった。この場合の「トラ」は動物の「虎」ではなく、「突撃セヨ」の「ト」に、間違いが生じにくい短符3つのモールス信号「ラ」を組み合わせることで「奇襲成功」を表すことにした略符で、「トラ」それ自体に意味はなかった。

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