2022.12.03

歴戦の零戦隊指揮官が遺した「真珠湾攻撃の機密書類」に書かれていた「中身」

奇跡的に残された書類の数々
神立 尚紀 プロフィール

「奇襲」に失敗し「強襲」と判断した場合は

ともあれ、奇襲に成功した場合は雷撃隊、水平爆撃隊、急降下爆撃隊の順に攻撃に入り、制空隊は敵機を警戒して上空に残る。攻撃隊の雷撃、爆撃が終わり、空中に敵機の姿を認めなければ、航空戦隊単位で別々の米軍飛行場を銃撃する。

真珠湾への攻撃隊(水平爆撃隊)の進入コース図

もし、あらかじめ敵に察知され、反撃体勢が整ったなかを突破する「強襲」になった場合は、制空隊は高度6000メートルで最初に進入、敵機を撃墜して進路を切り開き、次いで急降下爆撃隊、水平爆撃隊、雷撃隊の順に攻撃する。

もし総指揮官が「奇襲」に失敗し「強襲」と判断した場合は、信号銃二発連発を二度繰り返すことになっていた。

じっさいの真珠湾攻撃のさいには、「奇襲成功」と判断した総指揮官・淵田美津雄中佐が信号銃一発を発射したが雲に遮られて板谷茂少佐率いる制空隊が戦闘隊形をとらなかったため、淵田中佐が念押しにもう一発信号弾を打ったところ、その二発を「強襲」と勘違いした(二発を二回繰り返さないと「強襲」の合図にならない)急降下爆撃隊の高橋赫一少佐が最初に敵飛行場の格納庫を爆撃してしまい、攻撃順序が乱れたことはよく知られる通りである。

第一次発進部隊は、攻撃が終わり次第、後続機の妨げにならないよう編隊ごとに帰投する。制空隊の零戦は、敵機と遭遇、増槽(航続距離を延ばすための落下式燃料タンク)を落として空戦をすれば30分以内、増槽を投下せず地上銃撃のみなら40分以内(45分と書かれている箇所もある)、敵地上空にとどまり、カエナ岬の西10キロ、高度2000メートルの集合地点で左旋回しながら集合、帰途につく。クルシーは装備されているものの機動部隊は無線封止で、一人乗りの零戦は航法に不安があるから、指揮官が定めた艦攻、艦爆を誘導機として一緒に帰すことになっていた。誘導機を間違えないよう、

〈誘導機ノ尾部ヲ赤色ニ塗色シアリ E1(「翔鶴」)ノ艦攻ノ迷彩ハ胴体側面ニ施シアラズ〉

と、識別のポイントが記されている。

そして、進藤三郎大尉が制空隊の零戦35機を率いた第二次発進部隊――。

第二次は雷撃隊はなく、嶋崎重和少佐の水平爆撃隊(九七艦攻54機・計画では250キロ爆弾2発、または250キロ爆弾1発と60キロ爆弾の併用)、江草隆繁少佐の急降下爆撃隊(九九艦爆78機・250キロ爆弾)、そして進藤三郎大尉の制空隊(零戦35機)の編成である。発艦開始予定時刻は第一次発進部隊から1時間15分後の午前2時45分。すでに第一次が攻撃に向かっているから、第二次の計画書には途中で敵機や敵艦に遭遇する可能性が高いことを前提に、その場合の措置が念入りに記されている。

進藤大尉が作成した第二次発進部隊制空隊の書類表紙
 

ここで目を引くのは、途中で日本艦隊の攻撃に向かう敵機編隊と遭遇した場合、進藤大尉が率いる制空隊は、一部または全機をもってこの敵機を攻撃することになっていることだ。その間、攻撃隊は待機していることと定められているが、もし制空隊が空戦に入れば機銃弾を撃ち尽くし、攻撃隊は護衛戦闘機なしで真珠湾に向かう可能性が高い。

このときから11ヵ月後、昭和17(1942)年10月26日に日米機動部隊が激突した「南太平洋海戦」で、敵空母攻撃に向かう攻撃隊を護衛していた空母「瑞鳳」零戦隊の日高盛康大尉が、途中、味方空母を攻撃に向かう敵機を発見して反転、そのほとんどを撃墜して味方艦隊の損害を未然に防いだが、護衛戦闘機が手薄になった攻撃隊の多くが敵戦闘機に撃墜された、という出来事があった。このときの日高大尉の判断が是か非かは、戦後も航空自衛隊の幹部教育に教訓として使われたというが、少なくとも真珠湾攻撃の作戦計画の時点では、味方艦隊を攻撃させないために零戦隊が反転することは想定されていた。

第二次発進部隊の攻撃目標は、第一次とは逆に、水平爆撃隊が敵飛行場、急降下爆撃隊が敵艦隊である。計画では第二次の急降下爆撃隊は敵空母を第一目標にすることになっていたが、じっさいには当日、真珠湾に米空母はおらず、第一次で撃ち漏らしたほかの艦艇を攻撃した。

制空隊は、上空の敵機と空戦し、もし敵機がいなければ敵飛行場を銃撃する。第一次、第二次ともに制空隊の零戦の銃撃目標は敵飛行場のみ。つまり、真珠湾攻撃を描いた映画によく見られるような、零戦が超低空で雷撃隊とともに飛んだり、米艦隊を銃撃するような場面はいっさいなかったのだ(このことについて、筆者は某映画の監修をしたさい、零戦が雷撃隊と一緒に攻撃に入るのはおかしいと監督に意見を述べたが、「演出の都合」で押し切られたことがある)。

攻撃終了後の集合、帰投については第一次発進部隊に準ずるが、第二次発進部隊の計画書には、被弾したときの判断として、

〈不時着又ハ自爆ハ過早ニ決意スベカラズ〉

と記され、やむを得ず不時着するときは、オアフ島から200数十キロ西にあるニイハウ島沖に味方潜水艦を配備しているから、そこに不時着するようにとの指示がある。書類には〈ニイハウ島住民は全部日本人ナリ〉と書かれているが、これは事前の調査不足だった。この日、被弾した空母「飛龍」零戦隊の西開地重徳一飛曹機が指示通りニイハウ島に不時着したが、付近に日本の潜水艦はおらず、西開地は現地人に書類と拳銃を奪われてしまう。西開地は日系一世の原田義雄・梅乃夫妻に匿われたが、12月13日、現地の住民によって殺害される。原田義雄も散弾銃で自殺した。

計画書にはまた、〈救助セラルル見込ミナキ時ハ潔ク自爆スベシ〉とも書かれている。

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