ばあちゃんの最後の言葉
コロナ禍の始まりとほぼ同時に祖母の施設生活が始まった。祖父を5年前に亡くし、一人暮らしをしていた祖母が、自宅で転倒を繰り返すようになったので、施設にお世話になることになった。
コロナ禍に入ると、介護施設や病院は感染予防のために、すぐに面会などができなくなった。しばらく経って面会が緩和されても、10分間だけ、玄関先だけ、ワクチン証明を見せる、県外在住者はだめ、など、その都度にさまざまな対応が取られていた。
リスクが多い高齢者の住む介護施設では仕方がないと思う一方で、どうか祖母よ元気でいて、コロナが終わるまでは、と祈るような気持ちで毎日を過ごしていた。
最後に過ごしていた病院で、子供が面会に訪れてもいいとなったのは、今年の夏頃からだったのだろうか。私と私の子供たちとで、9月のとある日に祖母を訪れた。私の長女は大好きなひいばあちゃんに会いたがっていたので、約3年ぶりの再会に喜んだ。
いつものひいばあちゃんのお家ではない病院を訪れたことに若干の緊張感を抱えつつも、病室のベッドに横たわるばあちゃんに会うことができた。長女も長男も弱り切って知っている姿と違う祖母に言葉を失っていた。
祖母はニコニコと、息子の胸にプリントされたサメの絵を見て、「ロケット」「ロケット」とつぶやいていた。それが私たちにとって祖母の最後の言葉になった。「ばあちゃん、また来るね。元気でね」