こうした実態から見えてきたのが、平成以降、居室の好みが和室から洋室へと変化したことだ。
住宅の近代史から、和室のポジションをたどってみよう。今年の9月で放送が終了したが、『百年名家~築100年の家を訪ねる旅~』(BS朝日)という、邸宅を中心に古い住宅建築を紹介するマニアックなドキュメンタリー番組があった。
登場した邸宅の中には、明治期ごろに建てられた立派な洋館なのに、内部をのぞくとオーナーや家族の居室は和室になっている家が散見された。外から見ると、和室があるとはとても思えない造りなのである。昔の日本人は、和室でこそくつろげたことがよくわかる。

かつて、和室は必須の部屋だった
昭和初期、中流層が家を建てるようになると、洋室の応接間を一つ備えた和洋折衷住宅が増える。明治の富豪は、家族が暮らす和館と接客用の洋館を二つ建てる場合が多かったが、中流層にはそこまでの財力がない。それで、応接間だけ洋室にしたのである。今ではだいぶ少なくなったが、たまに古い住宅街の一角に、ステンドグラスをはめ込んだ窓とかわいいカラフルな瓦屋根が特徴的な、こうした和洋折衷住宅が残っている。
洋室化が本格的に進むのは戦後。日本住宅公団(現UR都市機構)が作った団地を皮切りにダイニングキッチンが普及し、ダイニングにテーブルを置いて椅子に座って食事する生活スタイルが広がっていく。公団は、「和室で食事をし、夜はそこに布団を敷いて寝る生活は不潔になりがち」と、わざわざ備えつけのダイニングテーブルを提供して食事専用の部屋を作る習慣を広げた。
最初はせっかく作ったダイニングに布団を敷く人が多かったが、実は洋風スタイルの生活を求める人たちもいた。初期の団地は、2DKが基本形でその2室は和室だったが、和室の一つにじゅうたんを敷き、ソファを置いてリビングにする人たちが多かったので、LDKの間取りが一般的になっていったという経緯もある。