同じ価値観よりも、考え方をいかにシェアできるか
日常生活の中で私が彼からの思いやりを感じることは、下記のようなものがある。
・話しかけたら手を止めて聞いてくれる
・外出しているときに「大雨が降ってきたから気をつけてね」など連絡をくれる
・帰りが遅くなったり、疲れているときなどに迎えにきてくれる
これらは、ああしてこうしてと私から要望したことではなく、彼が自発的に始めたことで、理由を聞いてみると、「そうすると君がうれしそうだから」「君を尊重しているから」とのことだった。確かにそんな風に気にかけてくれることはうれしいし、感謝の意を伝えてきた。もちろん私も思いやり行動をするが、彼は「僕が◯◯してあげてるのに、どうして君は◯◯してくれないの!!」とはならない。彼と出会うまでの恋愛では、「自分がしてもらったらその分の愛情は返さないといけない」といったプレッシャーがあったが、今の彼はそういったプレッシャーは一切感じられない。
今、彼とこんな関係を築けている私だが、20代前半の頃の私ならきっと今のパートナーに出会っても「こんな自分が愛されるはずはない」と猜疑心に支配され、疑心暗鬼になっていたと思う。それは、「私が私を嫌い」だったからだ。当時の恋人に「私のこと好き?」「どこが好きなの?」「本当は痩せてほしいと思ってるでしょ」と何度も聞いては困らせていたし、今思うと、自分のことしか考えていなかったのだ。
「もし私が不安にかられすぎて、出かけているときに『今どこに誰といるの?』とか、『なんで連絡しないの!?』と詮索したり、コントロールしたり束縛するタイプだったらどうする?」と彼に聞いてみたところ、「悪いことしてないのに怒られてる感じがして嫌だな、そういうタイプだと、ちょっと僕には合わないかも」とのことだった。相手がいくら優しい人であっても、疑いをかけて試すような行為で信頼関係を築こうとするのは難しいのかもしれない。

彼と交際していく中で学んだことがある。それは、愛情というのは、ただ単に「好きだ」と伝えたり、100本の薔薇をあげるとか、記念日に豪華なことをやるとか、そういった分かりやすいものだけではなく、実際には、日々の小さな思いやりや信頼の積み重ねから成り立つものだということだ。
自分では優しさや愛情だと思っていたものが、実は「独りよがり」になっている場合もある。だから、与えられてもそれが愛だと気づかないままだったり、うれしいと思ったときに伝えなければ、一方通行になったり、消えてしまうこともある。でも、そういった関係性を築くことは時間がかかるし、とても地味な作業なのだ。
私たちは交際を始めたころから今に渡っても、どんなことがうれしいか、気になるか、些細なことを互いに伝え合ってきたので、我慢もなく、喧嘩にならない。パートナー曰く、「愛は幸せなことも悲しいこともシェアすることかな」とのことだった。
恋人がほしいと思ったとき、価値観の合う人を探すことはよくある。でも、どんなことに対しても価値観が全く同じ人というのは、究極のところ、自分自身しかいないのだ。だから、良いパートナー関係を築くコツは、価値観が完全に一致する人かどうかや、どちらかに意見を合わせるか等よりも、うれしいときはうれしいと、嫌なときは嫌だと素直に表現し、対話や日々のやりとりで擦り合わせができる関係性を作ることだと思うのだ。