2022.12.08

真珠湾攻撃で「壮絶な経験」をした隊員たち、その遺族が「残された日記」に思わず震えた理由

太平洋戦争からおよそ80年。当時の記憶をとどめる人は少なくなった。

とくにこの戦争の戦端を開くことになった真珠湾攻撃にまつわる証言は、極めて貴重なものとなりつつある。

真珠湾攻撃に参加した元隊員たち、その遺族たちはいま、何を思うのか。

長年にわたって取材を続け、ドキュメンタリー番組『真珠湾80年 生きて 愛して、そして』を制作、さらに『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』を著したNHKエンタープライズディレクターの大島隆之氏が、貴重なレポートをお届けする。

ここでは、【前編】「真珠湾攻撃で壮絶な死を遂げ「軍神」と称えられた指揮官…その遺族がつぶやいた「意外な言葉」」につづき、真珠湾攻撃に参加した隊員のなかで「唯一の生き残り」で、現在105歳になる吉岡政光よしおかまさみつさんの証言に耳を傾けよう。

戦いに斃れた仲間たちを思う

人生の最終盤を迎えようとする当事者の脳裏に80年近く熟成されてきた「記憶」という意味で、吉岡さんの証言は興味深いものだった。真珠湾攻撃を命じられ、死を覚悟した悲壮感。真珠湾上空で感じた高揚感と、親しい友が戻らなかったことで知った戦場の虚しさ。その後の激しい戦いをくぐり抜けた末の特攻出撃命令と、それへの反発。そして、終戦。100歳を過ぎた人のなかにこれほど鮮やかに記憶というものが残り得るのかと、驚かされることばかりだった。それはやはり、彼がこの記憶を、ことあるごとに反芻し続けてきたからなのだろう。

そして特に印象深かったのは、足かけ2年、のべ20時間に及んだインタビューのなかで、吉岡さんの感情が最も高ぶった時のこと。彼が涙ながらに語ったのは、みずからの体験ではなく、戦いのなかで斃れていった仲間たちのことだった。

「終戦のラジオを聞いた時に真っ先に思い浮かべたのは、やっぱり戦死した人たち。あそこで彼は死んだな、あれは死んだなって思ってね。どうしても、仲が良かった人が思い出されて…。

やっぱりですね、人間と生まれたらですね、自然と年を取って、生老病死で、人生を全うするのが普通じゃないかと思うのですが。本当だったら、まだずっと生きていてね、いろいろな楽しいことがあって、飲んだり食ったりして笑って楽しんで死んでいけるのをね、無理に切られてしまうんですからね」