ファッションビジネスを学びにカナダへ留学
植月さんがバイヤーとして主にやっていたのは、施設に通って有名なデニムブランドの古着を探すこと。デザイナーはもちろん、作り手の現場にも立ち会うこともない。「今やっていることはファッション業の中でもほんの一部分のことで、服の山からお宝を探し当てることよりも、やっぱり海外で買い付けを行うバイヤーをしたいという思いを持ち続けていました」
その後、貯めたお金を使ってカナダのカレッジに留学した植月さん。そこから“暗黒期”が訪れることになる。
「ファッションマネージメント科だったので、繊維学から経営、製造・管理のこと、今の時代のグローバルソーシングについて学びました。もちろんすべて英語での授業で、アジア人がすごく少ないことと、同じクラスの人たちが思ったよりもあまりボーダレスな価値観を持っていなかったこともあって、人間関係において肩身の狭さを感じました。言語能力の差もあって伝えたいことがあまり伝えられずに、ふさぎ込んでいた時期があったんです。そんな時期だったからかヨガにハマッて、勉強しているか、ヨガをしているかというくらい、自分の精神世界にとっぷりと浸かっていました」

人間関係、生活、学問、すべてうまくいかなかったというカナダでの生活は、課程を修了するとともに終わりを告げ、卒業後はニューヨークで働くことになった植月さん。「いよいよこれから」というタイミングでどん底へ突き落とすできごとが起きた。
ニューヨークに来て数ヵ月、体調不良が続いて病院で検査したところ、ガンが発覚した。
「膀胱炎の症状で診てもらったんですけど、検査後に呼び出しの連絡がきて、ガンの疑いがありますと。きちんと検査したら高いステージだったんです」
このとき、植月さんはまだ22歳。憧れのニューヨークで経験を積んでさまざまなことにチャレンジしようと思ったタイミングだった。
「一気に自分の計画が崩れてしまって。これから私の人生どうなるの?と、不安でしかありませんでした。通院や手術のことを考えると、今は出直した方がいいと思い、日本に帰りました」