湧き上がってきたのは「ファッションで世の中の役に立ちたい」という思い
日本に帰国してからはガンの経過観察をしながら、大手小売企業に再就職。商品企画を担当することになった。この時の心境を植月さんはこう語る。「振り出しに戻るような気持ちで、私がもがいて得ようとしていた4年間は何だったのだろうと。その時はまだ完治できるのか先が見えない状態だったので、その反動なのか人生を思いっきり楽しみたいという気持ちが強くなって遊び呆けるようになったんです」
当時全盛だったファストファッションはもちろん、ハイブランドも自分が気に入ったものを見つけては大量に購入し、気づいたら500万円以上の借金に。そのときはじめて人間の根幹にあるエゴのようなものを突き付けられた気がしたという。

「自分のために浪費して、好きなファッションにとことん囲まれて。それは幸せなはずなのですが、“社会に何も貢献できていないのに、自分の欲に埋もれて一生を終えるかもしれない”ということに、すごく虚しさを覚えたんです。何のために自分は生きているのかと。それなら誰かのために役に立ちたいし、どうせ死ぬなら自分の好きなファッションで人や世の中の役に立つことがしたい、そう思い始めました」
絶望していた中で湧き上がってきた強い衝動が原動力になり、これが植月さんのターニングポイントになった。