「草津バッシング事件」の教訓…「推定有罪」に疑問を抱かない人びとの恐ろしさ

御田寺 圭 プロフィール

この世に「法」がある理由

思うに「MeToo」を含め、SNSのハッシュタグ付きのコメントで連帯感を味わいながら「世直し」気分に浸るなどという、2010年代後半から盛り上がってきた「ハッシュタグ・アクティビズム」についても、そろそろ検証の時期が近づいてきているのだろう。

これまで「MeToo」に無邪気に賛同していた者たちがもっとも重い責を負うことはいうまでもないが、しかし同時に、こんな幼稚で無責任なムーブメントを真に受け、右往左往していた世間にも相応の責任はある。

私たちの社会には、長い年月を経て築きあげてきた「法」という秩序が存在している。
 
「法治国家」の土台をつくった先人たちはなぜ、その共同体で暮らすすべての人から「自力救済」の権利を取りあげ、有形無形を問わず暴力の行使をきびしく制限し、その救済をわざわざ「法」という名の第三者により間接的に行うように取り決めたのか。

 

いまならその理由がはっきりわかるだろう。こうならないようにするためだ。

どんな凶悪な犯罪の被告人にも反論の機会が必ず用意される「対抗言論の法理」がなぜあるのか。だれの目にも明らかな極悪人にであっても公正な裁判を受け、弁護士をつける権利がなぜ憲法で保障されているのか。繰り返し述べよう。こうならないようにするためだ。

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