あばよ、日本…!「コロナに感染しないことが人生でもっとも大切」だと? こんな異常な国は出ていくに限る。

中川 淳一郎 プロフィール

日本は「法治国家」ではなく「空治国家」

さて、バカ国家のバカ事例はこの辺にして、本題に入る。

日本がおかしいのはなぜかと考えると、それはわが国が「法治国家」ではないからである。日本は世界でも類まれなる「空治国家(くうちこっか)」なのである。韓国の「国民情緒法」によく似ている。

人々の行動規範を決めるのは法律ではなく、あくまでも「空気」。法律よりも空気の方が重いのである。それはまさに山本七平が『「空気」の研究』で言及した通りだ。

山本氏はとある編集者とのやり取りで、会社に理不尽な決定をされたことを伝えられたが、編集者は空気に抗えなかったと弁明。それについて山本氏はこう指摘している。

〈 彼は、何やらわからぬ「空気」に、自らの意思決定を拘束されている。いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なのであって、人が空気から逃れられないごとく、彼はそれから自由になれない。

従って、彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、「空気」に適合しているからである。採否は「空気」がきめる。従って「空気だ」と言われて拒否された場合、こちらにはもう反論の方法はない 〉

 

山本氏は、太平洋戦争において、戦艦大和の出撃というどう考えても日本軍の勝利に繋がらない策が強行された背景を述べ、これが「空気」によるものだったと分析。そしてこう続ける。

〈 日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処されるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない 〉

結局、「マスクを着用する」「ワクチンを打つ」という2つは、「空気」が規定した行為なのだ。効果のほどはどうでもいい。あくまでも「空気」の方が大事なのだ。だからこそ、「空気」とは異なる「法律違反」は許されるということになる。

これが法治国家ならぬ「空治国家」たる所以だ。

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