2022.12.09

ドラマ『PICU』の吉沢亮もびっくり 小児医療界の「求道者」

涙なしには読めない小児医の覚悟・前編

中学高校時代は暗かった

吉沢亮が小児科医を演じたドラマ『PICU 小児手中治療室』が話題だ。実際、小児医療の現場にはどんな医者がいるのだろうか。吉沢が演じた小児科医・志子田は、「実家から近い病院ならどんな科でもいい」と消極的な気持ちで小児科医になったが、現実には熱い使命を持って幼い命に向き合い続けるスーパードクターがいる。この記事ではそんなドクターの代表選手を紹介しよう。

血管外科のスペシャリストとして慈恵医大の外科を束ねる大木隆生教授が、「あらゆる名医の条件を備えている」と太鼓判するのが順天堂医院小児外科の山高篤行教授だ(記事『日本一の外科医が「病院の手術数ランキングは信用するな」と語る理由』を参照)。外科医の道を究めるその姿勢は「求道者」とまで評される。小児医療界のトップドクターが語る、名医の条件とは?

麻布中高時代は暗かったという山高氏

――先生が医者を志した理由を教えてください。

「親父が外科医だったっていうのが大きかったかもしれないですね。自宅兼クリニックで消化器外科をやっていて、当時は家でも手術ができたんです。そういう姿を小さい頃から見ていたので、医者=外科医というイメージでした。

横浜で過ごした小学校時代はトップの成績でした。ところが、中学で東京の麻布中学に入ったらもう全然。頭の良い奴らがゴロゴロいて、半端じゃなかった。『ああ、世の中には自分よりはるかに頭が良い人たちがこんなにいるのか』って、初めて挫折を経験しました。本当に頭の良い奴らには追いつけないと思うと、ちょっと勉強から遠のいちゃいました。だって、最初から100m走を9秒で走るんですよ? こっちは練習しても11秒がせいぜい。そういう感覚でしたから、中高は暗かったと思う。いつも頭に雲がかかっている感じでした。

でも、医者になればなんとかなるんじゃないかとは思っていました。根拠もないのに外科医=私の道だと思っていました。外科医以外の職業を全く考えたことがなかったんです。

 

結局2年間浪人しまして順天堂の医学部に合格しました。ここで小児外科とラグビー、人生で初めて燃えられる学問とスポーツに出会い、人生が激変しました。

中高の6年間ぐらいチャランポランにやっていたから、 やっと医学の勉強ができると思うとうれしかった。あまり頭を使ってこなかったら吸収力もすごかったと思います。ラグビーにも打ち込んだお蔭で自分に自信を持てるようになり、雲がなくなり毎日が快晴になりました(笑)」

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