気鋭のエコノミスト永濱利廣氏は『日本病——なぜ給料と物価は安いままなのか』で、「低所得・低物価・低金利・低成長」の「4低」状況を「日本病」と名付け、その原因と、脱却の道筋を考察する。
リーマン・ショック後、日本がデフレスバイラルから脱却できない一方、海外諸国は「日本化」を回避し、見事に立ち直った。いったいどんな経済政策を実行したのか?『日本病——なぜ給料と物価は安いままなのか』から見てみよう。
バーナンキがやったこと
海外の国々が日本の長期停滞から学びとり、見事リーマン・ショックから立ち直ることができた経済政策とは、どのようなものなのでしょうか。
リーマン・ショック当時、FRB議長だったベン・バーナンキ氏は、プリンストン大学でバブル崩壊後の日本の長期不況を研究していた人です。そして偶然にも、彼の任期中の2008年9月15日にリーマン・ショックが起きました。
FRBとは、米連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)のことで、アメリカの中央銀行にあたります。同年10月8日には、アメリカとヨーロッパの6中央銀行は協調利下げに踏み切りました。その後、バーナンキ氏は、デフレ脱却の特効薬として机上で考えていた「量的緩和政策」を実行に移すことを決めます。
そもそも、経済を安定させるために国ができる政策は、大きく分けて「金融政策」と「財政政策」の二つです。そして、金融政策は中央銀行が、財政政策は政府が担います。