2022.12.13

ナベツネも野中広務も、なぜここまで戦争を憎んだか…世代論で読み解く昭和史が面白い

特攻兵だった読売新聞・渡邉恒雄の憲法観

保阪氏が、このほど新刊『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(毎日新聞出版)を発刊した。「戦争を遂行した世代」「戦争の要員とされて犠牲になった世代」「少年少女期に戦争を経験し、戦後の価値転換を目の当たりにした少国民世代」「純粋戦後民主主義世代」と4種類のカテゴリーに分け、「世代」という切り口によって歴史を鮮やかに腑分けする。

大正生まれの男性が数多く戦死する中、運良く太平洋戦争を生き抜いた人々もいる。新刊『世代の昭和史』の第3章、第4章で保阪正康氏は、戦後日本の政界、経済界、言論界を担った人々の固有名詞を次々と挙げる。

読売新聞の総帥・渡邉恒雄主筆がテレビカメラの前でしゃべるのは珍しい。NHKのBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 昭和編」(2019年放送)や「平成編」(2021年放送)、NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像~」(2020年放送)は、ナベツネのぶっちゃけトークがおもしろいと話題を呼んだ。保阪正康氏は、ナベツネと直接会って対談をしたことがあるそうだ。

〈私はナベツネさんと2回ほど対談をしたことがあり、加えて読売新聞社が戦争責任問題に取り組んだ時に、戦争責任検証委員会でナベツネさんたちに講演をしたことがあった。

質問の時間に移った時に極めて明確な内容を問われたので、私はこの人はあの「戦争」に心底から怒りを持っていると知り、しかもその怒りは一過性のものではなく、体に染み付いていると感じることができた。
(略)
渡邉は大正15年の生まれである。戦争で最も多くの死者を出した大正11、12、13年生まれの世代よりわずかだが、下の世代である。無論、渡邉の世代も本土決戦時には特攻要員として命を捧げる役割を課せられていた。

渡邉の世代は、相模湾から上陸してくるアメリカ軍の戦車に爆弾を抱えて飛び込んでいくような役割が与えられていたはずである。日本の戦時指導者たちのあまりにも理不尽な軍事観を押し付けられる寸前だったといってもいいであろう。そういう理不尽さを行い得る国の姿に、知性でも理性でも対応できないもどかしさを感じたとしても当然であった。〉(『世代の昭和史』106〜107ページ)

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『世代の昭和史』では、ナベツネの「戦争への怒り」に触発されて、保阪氏独自の平和観と憲法論を語っている。

〈私は改憲論者ではない。かといって未来永劫、護憲を貫くべきだとは思わない。有り体に言えば、この憲法を「平和憲法」と称して護憲を言うのには資格と条件がある。悲惨な戦争体験を経て、戦場から帰ってきた兵士たちが口にするのはわかるのだ。この場合の平和は、自らの体験した戦争と対峙した結果であり、その意味の痛切さがわかるからだ。

 

しかし、戦争を深く検証し、戦争を真に相対化することなしに、ただ「平和憲法」と口にするだけでは、そこに退嬰が生まれるであろう。何の努力も、いかなる労苦もなく、叫んでいるだけだからである。絶対的意味での平和憲法を口にすることは必ずしも有益ではない。

私は今の憲法は非軍事憲法と考えている。設立の経緯を見てもそういっていいであろう。非軍事憲法だからこそ、平和憲法にするためには努力が必要だ。

非軍事と平和の関係、軍事主導と昭和の戦争への検証と反省、さらには非軍事が世界趨勢になるための努力などが伴って、初めて平和憲法への道筋が確立するはずである。この努力を伴わないで平和憲法を主張する態度は、あの戦争の時代の検証さえおろそかにすることにつながるというべきである。〉(『世代の昭和史』108ページ)

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