2022.12.24

「権力の統治から逃れる」のに「ダンディズム」が重要だってどういうことだ? フーコーが考えたこと

思想家として活躍し、世界中に大きな影響を及ぼしたミシェル・フーコー。

彼はある時期以降、人々の行動や考えを絡め取り、ある一定の方向に導こうとする「統治」というものから、どのようにして逃れればいいのか、どのようにして身を引きはがせばいいのかについて深く考えるようになった。

そのさいに一つのキーワードになるのが「ダンディズム」である。

今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』を上梓した天理大学准教授の箱田徹氏が解説する(本記事は、同書の一部を編集したものです)。

「このようには統治されない技術」

16世紀とは、政治的な近代がはじまるとともに統治の問いがさまざまに噴出する時代であった。フーコーはこのときに統治をめぐっても、いまある統治とは別の統治のあり方を求める動きが生じることになると考えていた。

そして、2度目の来日直前に行った講演「批判とは何か」(1978年)以降、何度も機会を捉えて、「このようには統治されない技術」を、カントの小論「啓蒙とは何か」(1984年)を参照しながら、「批判」、さらには「啓蒙」という概念と結びつける。

批判とは、一切の統治を望まない技術ではなく、いまあるようなかたちで統治されないためにはどうすればよいのか、という問いをめぐる考察と技術のことである。

統治されない技術、このようにしては、こうした犠牲を払っては統治されない技術と、ごくシンプルに呼びたいと思います。したがって批判の最初の定義として、次のような一般的な特徴付けを行いたい。このようには統治されない技術です。(強調は引用者)