2023.01.25

人が「死ぬとき」はこんな感じ…身寄りのない60代女性が「最期の一息」を吐くまで

だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。

私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。

望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。

*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
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はじめての看取り

大学を卒業したあと、私は外科の研修医になり、指導医について医師として第一歩を踏み出しました。

そんな私が、はじめて患者さんの死を看取ったのは、研修も後半に入ってからでした。場所はアルバイトに行っていた当直先の病院です。勤務していた大学病院では、あまり患者さんは亡くなりませんでした。それは大学病院が治癒の見込みのある患者さんにベッドを確保するため、死ぬとわかっている患者さんを積極的に受け入れないからです。

従って、研修医が患者さんを看取るのは、たいていアルバイト先の病院でということになります。どの研修医もそれまでは臨終に立ち会ったことなどないので、はじめて死を看取る経験をした者は、翌日、病棟に来てそのときのようすを興奮気味に語ったりします。看取りを経験すると、何となく医者として箔がついたような気がして、経験していない研修医より精神的に優位に立つのです。看取りの場数を踏めば踏むほど、興奮も収まり、人の死に対して余裕を持った態度が取れるようになります。

そのころ、私は週に二回、当直のアルバイトに行っていましたが、幸か不幸か、なかなか患者さんの死に巡り会いませんでした。だから、何となく肩身の狭い思いで、看取り経験者たちの話を指をくわえるようにして聞いていました。