「背の高い人」に対する好みをアプリの中で表明することは、通常はそれほど道徳的に悪いことだとは思われていないでしょう。
では、アジア系の人は概して他の人種よりも背が低いといった理由で「アジア系ではない人がいい」といったことを表明するのはどうでしょうか。あるいは逆に「アジア系の女性は男性に従順だ」という偏見をもっていることを理由に「アジア系大歓迎」とするのはどうでしょうか。
つまり、ステレオタイプに基づいて「アジア系お断り」や「アジア系大歓迎」と表明することは単なる好みであって、なんの問題もないのでしょうか。
「過度の一般化」という問題
中国の武漢大学のリュー・シャオフェイは、これを過度の一般化の観点から批判しています。「過度の一般化」とは、いくつかの例だけに基づいて「全体もこうだ」という判断を下してしまう誤りです。このような判断は、個人を個人として尊重しているとは言えないという点で、単なる好みとは言えないというわけです。
また、イギリスのグラスゴー大学のロビン・ゼンは、これまでに差別されてきた特定の人種だけが負わなければならない心理的な負担も問題にしています。つまり、他人からの評価が上がったり下がったりした場合、白人であればそれを単純に「自分のこれまでの行いによるもの」と考えればいいのに対して、これまでに差別されてきた人種は「自分のせいなのか、人種のせいなのか」「差別と考えるべきか、無視するべきか」といちいち悩まなければならない、というわけです。
このことはプライベートな空間、つまり誰とデートするか、といった場面でも当てはまります。