2023.01.03

赤ちゃんの命を救え! 新生児集中治療の第一人者が語る理想の医師像

医者が治せる病気は限られている

「温かさ」がすさまじい

記事「小児外科の名医が語る「忘れられない患者」とその家族」で登場した山高篤行医師が、「医師としての温かさが凄まじい」と称賛したのが、新生児医療のスペシャリスト渡辺とよ子医師だ。長らく墨東病院の新生児科のトップとして、東京の赤ちゃんの健康を見守ってきた渡辺氏に話を聞いた。


――もともと新生児科のお医者さんになろうと決めていたのでしょうか。
渡辺
「私の親族には医者は一人もいませんでしたが、小学校に上がる前ぐらいには医者になると言っていたようです。人間の体の中を知りたいという強い好奇心です。

医学部を卒業する頃には漠然と子どもを診たいと思っていました。私が学生の頃は臨床実習でも新生児をみることすらありませんでした。

NICU(新生児集中治療管理室)というものが日本に最初に登場したのが1975年で、私の大学卒業と同じ年ですから。

その後、札幌医大卒業の翌年に筑波大学附属病院が開設されたので、そちらで麻酔・救命救急の研修医として働くことになりました。この7年間には手術室麻酔はもちろん、救命救急やICUでの実戦、筑波中毒センターの24時間電話相談対応も経験させていただきました。子どもの麻酔についても率先して担当させてもらいました。
昔から、医者になったからには目の前に人が倒れていたとき、何もできないような医者にはなりたくないなと思っていました。筑波大学病院麻酔科・内藤裕教授の厳しいご指導のもとで、技術的にも、精神的にも、『医者として頼りがいのある自分』の土台を作っていただいたと深く感謝しています。

 

新生児科に勤務するようになったのは、その後、都立築地産院に移ってからです。麻酔専門医の夫が産婦人科医として築地産院に就職するときに、『奥さんも麻酔専門医なら、NICUで働いてもらえないか。仕事は似たようなものだから。』と誘われて、そちらに移りました。実際は全然違う仕事でしたけれどね。決め手は『ここでは仕事と子育てが両立できる』という言葉でした。実際、その後4人の子供を育てながら仕事をすることになりました」

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