2023.01.01

「ありいんす」「そうざます」…江戸の遊廓で「吉原言葉」が発明された、深すぎる理由

人工言語によってコミュニケーションを可能にし、かつ統制する方法は近代に「標準語」として生まれましたが、多様な民族を国家としてまとめる時には諸外国でも人工言語を作っており、人が狭い共同体から外に出てコミュニケーションすることを考えた時には、必ず何らかの言語を母体にして人工言語が作られてきました。廓言葉は、言語の成り立ちに関する知的好奇心を掻き立てるのです。

そこから考えた時、吉原のみに廓言葉が作られたのは、吉原が、日本全国から人が集まる「江戸」という都市にあったからで、そこで女性たちは土地の女=地女=日常の女性から、遊女=傾城=浮世の女=別世の天女に生まれ変わらねばならなかったからです。

まさに都市とは架空の空間です。吉原は花がそこに咲くのではなく、花を持ち込んで季節を作るところでした。土地の祭りがあるわけでなく、吉原独特の祭りを芸者衆が作ったところです。すべてのものが創造され、仮構された別世界でした。そのことが、人を惹きつけてやまないのでしょう。

恋文の魔力

ところで、廓言葉だけでなく、手紙もまた名物でした。ただし手紙の文化は吉原独特のものというより、遊女の存在そのものにずっとついてまわったと思われます。その伝統を引き継ぎ、恋の物語を大切にする遊廓では、恋文は非常に重要なものでした。手紙を書くための文字の美しさと文章力は、遊女が第一につけねばならない能力だったのです。

『色道大鏡』は、誰でも手紙を書けなくてはならないが、とくに遊女はどうしても手紙が必要である、と力説しています。遊女は禿と呼ばれる少女のころから、書を習い、文章の稽古をします。『色道大鏡』の筆者、藤本箕山は、遊女たちの手紙に使われる仮名遣いや言いまわしの誤りを指摘しています。遊女たちが『色道大鏡』を読んでいた証左だとも言えます。